2025-06-17 03:00:00

" 刀に学ぶ「平和」の心 : 合氣道に通じる武士道の真髄 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

芒種【ぼうしゅ】末候

 

七十二候

第二十七候  梅子黄【うめのみきばむ】

「芒種」は末候へと移りました。

「梅子黄」は6月16日~20日ころにあたります。

 

青かった梅の実がだんだんと黄色く色づき始める頃を指します。

これは、梅が収穫の時期を迎えるサイン。

梅干しや梅酒、梅のジャムなど、日本の夏には欠かせない、

梅の加工品づくりが盛んになる季節の到来を告げる候です。

 

 

 

 

 

 

今日の道場長の一日一心

 

 

 

 

『 かたな に まな ぶ「へいわ」の こころ : あいきどう に つうじ る ぶしどう の しんずい 』

 

 

 

 

" 刀に宿る武士の魂と合氣道の「和」の心 " 

 

 

 

 

合氣道は、

争いを避け、「和を尊ぶ」ことを

根幹とする武道です。

 

 

 

この精神は、

古くから武士たちが重んじてきた

 

「武士道」と深く相通じるものがあると、

私は思います。

 

 

 

 

 

武士と聞けば、多くの方が

「刀」を思い浮かべるのではないでしょうか。

 

 

 

刀は単なる武器ではなく、

「刀は武士の魂」とまで言われたように、

 

武士の生き様そのものを象徴する、

かけがえのない存在でした。

 

 

 

 

 

" 幼少期からの武家の「教育」:端午の節句に息づく伝統 " 

 

 

 

 

武家の子どもは、

幼い頃から刀との深い関わりが始まり、

 

わずか5歳で武士の装束をまとい、

本物の刀を腰に差すことを許されたと

伝えられています。

 

 

 

これは、

単に剣術を学ぶだけでなく、

 

刀の扱い方、

ひいては武士としての正しい立ち居振る舞いを、

 

心身両面から

徹底的に叩き込まれることを意味しました。

 

 

 

 

この習わしは、

現代の日本にも「端午の節句」として

色濃く残っているのですね。

 

 

 

5月5日に

男の子の成長を願うこの行事では、

 

鎧兜 (よろいかぶと) や

刀、弓矢などを飾り、鯉のぼりを立てます。

 

 

 

これらは、

かつて武士が

戦場で身を守るために用いた武具であり、

 

「強く、たくましく、そして正しく成長してほしい」

という「親の願い」が込められています。

 

 

 

 

まさしく、

幼い頃から武士としての

「自覚」と「心構え」を育んだ、

 

当時の「武家の教育」の精神が、

形を変えて受け継がれている証と

言えるのではないでしょうか。

 

 

 

15歳で「元服」の儀式を経て

一人前の武士と認められるまで、

 

彼らにとって刀は、

まさに「一心同体」とも呼べる存在だったのでしょう。

 

 

 

 

 

" 刀が教える「真の勝利」とは " 

 

 

 

 

武士は、

その魂ともいえる刀を最大限に尊重しました。

 

 

刀に対する不敬は、

持ち主への侮辱に等しいとされ、

決して容認されませんでした。

 

 

 

同時に、彼らは軽々に

刀を抜くことを潔しとしませんでした。

 

 

真の武士は、

刀を使うべき「時と場」を心得ていたのです。

 

 

 

常に武力の象徴である

刀を身につけていた武士だからこそ、

彼らは深く理解していました。

 

 

 

 

「真の勝利は、暴力の先に存在するものではない。」

 

 

 

そして、

血を流さずに争いを収めることこそが、

最善の道であると。

 

 

 

 

なぜなら、

彼ら武士が追い求めた究極の理想は、

他ならぬ「平和」だったからです。

 

 

 

 

 

" 現代の言葉に息づく「武士道精神」 " 

 

 

 

 

 

武士と刀の関係性から生まれた

伝統や精神は、

現代社会にも脈々と受け継がれています。

 

 

 

 

私たちの日常会話にも、

その名残を見出すことができます。

 

 

 

 

たとえば、

 

 「抜き打ち」とは、

事前の予告なしに行動することであり、

 

 「付け焼刃」とは、

一夜漬けの知識や急場しのぎの対応のこと、

 

 

 また「反りが合わない」とは、

性格や意見が食い違い、しっくりこない様であり、

 

 「鎬(しのぎ)を削る」とは、

激しい競争を繰り広げること、

 

 

さらに「元の鞘(さや)に収まる」とは、

揉め事が解決し、元の良好な関係に戻ることなど…

 

 

 

 

これらの表現は、

すべて武士と刀の深い関わりから

生まれたものです。

 

 

 

言葉の端々に、

彼らの生きた時代と精神が息づいている、

 

そう思うと、感慨深いものがありますね。

 

 

 

 

 

" 合氣道に宿る武士の「和」の心 " 

 

 

 

 

合氣道もまた、

相手を打ち負かすことではなく、

 

相手との調和を図り、

争いを鎮めることを目指します。

 

 

 

これは、

刀を携えながらも「平和」

究極の理想とした

 

武士の精神と、

まさしく軌を一にするものであると

私は思います。

 

 

 

 

僭越ではありますが、

私たち合氣道を学ぶ者は、

 

現代において、

物理的な刀を持たずとも、

 

「武士道精神」を体現する存在で

ありたいものです。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場に集う

お弟子さん一人ひとりが、

 

日々の稽古を通じて、

単に技を磨くだけでなく、

 

心身を鍛錬し、

平和を尊ぶ「和」の心を

育んでもらいたいと願っています。

 

 

 

 

合氣道に少しでもご興味を

お持ちいただけましたら、

 

ぜひ一度、道場へ足をお運びください。

 

心よりお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝