" 必要なものは与えられる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『ひつよう な もの は あたえられる』
アスファルトの道を
歩くのと、
砂浜を歩くのとでは、
どちらが
歩きやすいだろうか。
砂浜は柔らかいから、
足がのめり込む。
砂はサラサラで
全く抵抗がないから、
踏ん張れず疲れる。
肌触りは良いが、
足に力が湧かないのだ。
一方で
アスファルトの道は
硬く抵抗があるため、
それを蹴って力強く
歩くことができる。
つまり、
抵抗による
力が湧いてくるのだ。
スポーツや競技には
必ず相手がいる。
野球でもサッカーでも
その相手が
重要な抵抗と
なってくれる。
試合ではその相手に
勝たなくてはならない。
その結果、
自身のプレーの
向上につながっていく。
前進の力と勢いを
相手からもらえるのです。
合氣道においても
全く同様である。
寺崎道場の合氣道には
試合はないが、
日々の稽古で
自分の技の未熟さや、
姿勢の悪さを
相手と組むことにより
実感できるのです。
それを人生に
例えるなら、
賢者は抵抗を活かして、
自分のものにする。
愚者は抵抗から逃げ、
負ける、砕ける、
立ち上がれない
全くの意気地なしである。
人生における
苦難も、失敗も、
災難も、病も、苦痛も、
それらは全て、
生きるために、
また人として
向上するためにある
必然な抵抗だ。
生きていくための
前進するための力がいる。
それが必要だから
天地大自然から
与えられるのだ。
必要ないものは
決して与えられない。
病氣や苦難や失敗は
アスファルトの道を
歩くように
それを抵抗として、
踏ん張り、地を蹴って
力強く前進しなさいよ。
また、愚かな自分に
反省を与え、
早くその愚かさを
脱ぎ捨てなさいよ。
もっと賢者になりなさい、
という天地大自然から
自分宛へのお便りなのだ。
それを有り難く受け取り、
熟読して、反省したら、
改善することができる。
" 必要なものは絶対に与えられる "
従って、
いくら嫌でも、
そこから逃げることはできない。
" 必要でないものは絶対に与えられない "
従って、
嫌なものを与えられない
自分になることが、
賢明な生き方でありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝