" トクも濁ればドクになる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『とく も にごれ ば どく に なる』
三十代、四十代の頃、
大型連休を利用して
遠くまで、
サーフィンプチ旅行に
よく出かけた。
高知県西部にある
とても海岸線の広いビーチで
サーフィンをしていた時のことだ。
早朝の1ラウンドを終え
海から上がると、
「ビーチクリーンを行いますのでご協力お願いします」
拡声器を持った
地元のサーファーらが
呼びかけていた。
前にこのエントリーでも
記した通り、
私はいつも
海から上がったら、
砂浜を歩く途中のゴミ、
徳にタバコのフィルターを
拾うことを続けていた。
ビーチクリーンの開催等は
関係なく自分自身で
必ずやることだと
思っていたからだ。
拡声器を持った一人の
ローカルサーファーが、
何やら海に向かって
叫んでいる。
「コラ、お前ら、海から上がってゴミ拾えや」
サーファーにとっては
波というのは
天地大自然からの
最高の贈り物だ。
サーファーなら
誰もがそれを尊ぶ。
来る波、来る波に
なんとか乗ろうと、
何もかも忘れて、
ひたすら波を
追いかけていると、
陸からの声は
拡声器を通した
音であっても、
聞こえない時が
大いにあるものだ。
天地大自然の
波のパワーや、
波が砕ける音にも
影響され、
全く氣付かない時もある。
海はローカルサーファー
だけのものではない。
ビジターサーファーのために
あるのでもない。
天地大自然の所有物だ。
その海や砂浜を
きれいにすることは
当たり前のことだ。
それは自身自身が
やれば良い。
" ビーチクリーンは自分がやれ "
人に協力を
お願いすることは
悪いことではない。
一人より大勢で
したほうが
効率も良いし、
砂浜全体がきれいになる。
だからといって、
「コラ、お前ら、やらんかい」
これは間違っていると思う。
" 海をきれいにしよう "と
せっかく、積んだ徳も
これでは台無しになる。
非常にもったいないことだ。
" トクも濁ればドクになる "
積み重ねた" 徳 "も
一つの言動で
" 毒 "にもなるのだ。
この場合、
その拡声器で叫んでいた
ローカルサーファー本人が
本当は
やりたくなかったのでは
あるまいか。
自分達がいつも
サーフィンをさせてくれる
海に感謝して、
行うことであるなら、
腹が立つのは
おかしいことではないのか。
誰がやろうが、
やるまいが、
関係ありません。
自分がやれば
それで良いのですよ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝