2024-12-27 04:46:00

" 運命の鏡 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

 

本日は、

二十四節気 

冬至 (とうじ) 次候

 

七十二候 

麋角解(しかのつのおちる)

第六十五候。12月26日から12月30日頃。大型の鹿の角が落ちる時期にあたる。

メスの鹿は角が生えませんが、オスの角は根元からポロッと自然にとれて春にはまた新しい角が生えてきます。

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

『うんめい の かがみ』

 

 

 

「師走」の由来は、

僧侶のような

普段落ちついている人でも、

この12月は多忙で

走り回るようになる

という意味から

名付けられたという説がある。

 

 

僧侶と言えども、

本当に普段から

落ち着いているか

どうかは不明だが…

 

 

特に年末は

世の中が慌ただしくなる

ことは間違いない。

 

 

 

それに加え、

年末年始は

学校も仕事も休みになり、

 

大いに氣の緩み、

浮足立つ人が多い。

 

 

忙しい年末こそ、

落ち着いて自分自身を

見つめ直すことが重要だ。

 

 

そして、

新年の初詣のあり方も

少し考えてみたい。

 

 

 

自分の運命をひらく、

良くする。

 

これは誰もしてはくれない。

 

自分だけしかできないことだ。

 

 

やたらに神仏にお願いする。

頼んで拝む。

 

それでいて

自分自身を

全く反省しようとしない。

自分を分かろうとしない。

正そうとしない。

 

 

そのようなことでは、

不幸は尽きぬ。

さらなる

奈落の深淵に落ちてゆく。

 

 

これは

自分の運命のひらき方が

分かっていないから。

 

 

 

人間が全く分からないもの、

それは自分自身のことだ。

 

 

自分の体重も

自分だけがわからない。

全く重みを感じない。

だから体重計で測って分かる。

 

 

自分の顔や姿も

自分だけは一生、

見ることができない。

 

だから、

鏡に映して自分を知る。

顔の汚れや身だしなみを整える。

 

それで安心して外出もする。

 

 

 

ずいぶん昔のことだが、

寺崎道場の呼吸法教室に

通われる

お弟子さんのお一人が、

 

椅子に座って

呼吸法をしているうちに、

どんどん上半身が

片方に傾いていく癖があった。

 

 

直してあげようと

注意するが、

 

本人には

その自覚が全くないから、

一向に直らない。

 

 

そこで、

呼吸法の最中に

黙って、こっそりと

傾いたその姿勢を

写真に撮って、

ご本人に見せると

 

「えっ、私って、こんなにも傾いているのですか」

 

それはそれは

相当驚かれていた。

 

自分自身が

良く分かった。

 

それ以来、

傾くことがなくなったのだ。

 

  

そのお弟子さんは

今も氣を出して

呼吸法教室に通っておられる。

 

 

 

自分を正したら、

安心と勇氣ある一歩が

そこから生まれる。

 

 

自分だけが

自分のことを

分からないのである。

 

 

そのさらに

分からないものが、

自分の運命だ。

 

 

自分の顔、姿は鏡に映せる。

 

 

しかし、

人間の本体は心だ。

 

 

徳、不徳を包む

人間の心は形がない。

 

目に見えない。

 

匂いもない。

 

 

この自分の本体を知り、

これを正したい。

 

そのために

自分の本体を映す

鏡が必要となる。

 

 

この鏡こそが

この世の中ではないか。

 

 

そこに映ったものが

運命ではないか。

 

 

 

運命こそが、

世の中という

鏡に映された

自分の本当の姿なのだ。

 

 

" ごまかさないで、じっとよく見つめよう " 

 

 

正しく本当の自分を知ろう。

 

 

自分というものを

分かって自分を正そう。

 

 

それが運命をひらく

道ではないのか。

 

 

 

2025年、令和7年の

初詣を前に

 

この一年、

いや、これまでの人生の

自分の生き方と

自分や家族に起こった吉凶を

一つひとつ振り返り、

 

反省するところは

大いに反省し、

 

来年は自分と家族にとって

素晴らしい一年になるよう、

 

 

神仏の御前に

恥ずかしくない自分となって

感謝を捧げよう。

 

 

それが良き運命をひらき、

さらなる前進の勇氣を

生み出す道でありまする。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-12-26 04:04:00

" 文を以て友を会す "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

冬至 (とうじ) 次候

 

七十二候 

麋角解(しかのつのおちる)

第六十五候。12月26日から12月30日頃。大型の鹿の角が落ちる時期にあたる。

メスの鹿は角が生えませんが、オスの角は根元からポロッと自然にとれて春にはまた新しい角が生えてきます。

 

 

 

今日のお題

 

 

『ぶん を もって とも を かい す』

 

 

" 文を以て友を会す "とは

論語の一説だ。

 

 

学問や教養、

文化や趣味などを通して

良き友人と出会い、

交流する。

 

 

趣味や教養を

共有することで、

 

心を通わせ、

深い友情を築くことができる。

 

 

そういう友からは

色々な事を学べる。

 

 

「会す」とは

単に会うだけではなく、

心を通わせ、

深く交流するという意味がある。

 

 

 

豊かな人生をおくるためには

そういう友が必要になる。

 

 

 一生涯付き合える友である。

 

 

友達を選ぶときの

基準にするべきです。

 

 

地位や金で選んだ友は

ろくなものではないのです。

 

 

 

 

合氣道を通して、

出会う道友も大切な友だ。

 

 

 

私の立場で申せば、

寺崎道場の子ども、親子、大人の

全てのお弟子さん方も皆、

" 文を以て友を会す "

良き友である。

 

 

また

兵庫県合氣道連盟の先生方や、

 

合氣道琴心館本部道場に

集まる、

先輩、後輩の方々、

また流派を超えて

知り合えた方々も皆、

良き友である。

 

 

 

人間の集まりなので、

時には

" 合わない人 " もいる。

 

 

それでも同じ志のもと、

尊重できるところはある。

 

 

 

ここで出会えた友の

一人ひとりに感謝して、

 

これからも大切にしていきたい。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-12-25 04:26:00

" 心の栄養とは "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

冬至 (とうじ) 初候

 

七十二候 

乃東生(なつかれくさしょうず)

七十二候の第六十四候で、

ウツボグサが芽を出し始める頃です。

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

 『こころ の えいよう とは』

 

 

 

人間の身体に

食物が必要なのと同じで、

心にも栄養が必要だ。

 

 

身体の栄養は食物ですね。

 

 

それでは、

心の栄養とは一体何でしょうか?

 

 

 

それは、

自分の得にならないことを

やることなのです。

 

 

自分のことや

自分のためじゃなくて、

誰かのために

何かをするってこと。

 

 

自分が得することしか

やらない人っていうのは、

 

心の栄養が欠乏するから

いつも不健康なんだ。

 

 

人間が卑劣で

外見も心も

非常にみすぼらしい。

 

 

こんな人間には

絶対になりたくないわ。

 

 

 

合氣道の稽古も同じでね。

 

自分が上達するためだけに

やる人は、

いくら一所懸命やっても

全く上達しないの。

 

 

やればやるほど下手になる。

 

 

そうではなくて、

組んだ相手を

上達させてあげる

という思いで、

一所懸命やってると

知らないうちに上達するもの。

 

 

それだから、

指導者、師範は

自分の稽古などしなくても

勝手に上達していく。

 

 

自分じゃなくて

人を伸ばしてあげる。

 

 

そういうことに

氣付かない人が結構多いのです。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-12-24 03:58:00

" 自分の立ち位置と存在価値 "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

二十四節気 

冬至 (とうじ) 初候

 

七十二候 

乃東生(なつかれくさしょうず)

七十二候の第六十四候で、

ウツボグサが芽を出し始める頃です。

 

 

 

 

今日のお題

 

 

 

『じぶん の たちいち と そんざいかち』

 

 

 

人生において

自分の立ち位置と

自分の存在価値を

あなたは知っていますか?

 

 

人間は勝手に生まれて

勝手に死んでいく

ものではありません。

 

人生の人生だから

好き勝手に生きる

ものでもありません。

 

 

しかし、

多くの人が

好き勝手に生きて、

 

自分さえ良ければ

それで良い。

 

そう思って

生きているように思います。

 

 

それは

自分の立ち位置が

定まらず、

存在価値を

知ることなく

育ってきたからです。

 

 

しかし、

それらは

日本人としての

根底を見失っていることに

なるのです。

 

 

 

それには

日本は戦後79年間の

「学校教育の歪み」が

深く影響しています。

 

 

 

現代に生きる私達は 

この歪みを正すことが、

重要な責務なのです。

 

 

 

私達が今、こうして

生きているのは、

両親がいてくれた

おかげです。

 

その両親の存在も

祖父母がいてくれた

おかげです。

 

 

こうして

自分の「いのち」の

根源をさかのぼると、

 

遠い過去から現在まで

切れ目なく

連綿と続いて、

つながっていることに

氣付きます。

 

 

そして、

それは子、孫へ

未来へとつながっていく

縦軸なのです。

 

 

一方で

その縦軸に対して、

私達は、家族や

学校、職場の友達や仲間、

隣近所の地域の人々、

日本と世界の同胞 ( はらから )

とともに「今現在」という

同じ時間 ( とき ) を

生きていることが

横軸なのです。

 

 

 

つまり、

私達はこの縦軸と横軸が

互いに交わる点で

結ばれています。

 

 

その交わった点が

" 自分の立ち位置 " なのです。

 

 

子どものうちから

この自分の立ち位置を

 

しっかり、

教えなくてはいけません。

 

 

この自分の立ち位置が

定まってこそ、

自分の存在価値が

はっきりするのです。

 

 

「今、ここで生きている」

 

 

今ここで、

自分は何をすべきなのか?

 

 

自分を生かしてくれている、

日本の過去の歴史と

親、先祖に対する

感謝の氣持ちが

失われてしまったら、

これから先の未来に

存在価値も責任感も、

生まれてきません。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝

2024-12-23 04:10:00

" 小さくても命は命だ "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

本日は、

 

二十四節気 

冬至 (とうじ) 初候

 

七十二候 

乃東生(なつかれくさしょうず)

七十二候の第六十四候で、

ウツボグサが芽を出し始める頃です。

 

 

 

今日のお題

 

 

 

『ちいさく ても いのち は いのち だ』

 

 

 

命というのは尊いもの。

 

 

私達、人間の命は尊いもの。

 

 

それは人間の命だけではない。

 

 

小さな命も命には違いはない。

小さな虫の命も尊いはずだ。

 

 

それを

小さな虫の命など

お構い無しという人を

時々、見かける。

 

 

それが

てんとう虫や

カマキリの赤ちゃんなら

叩き潰したりしない。

 

 

しかし、

蚊を見つけると

即時に両手で叩き潰す。

 

 

また暖かくなってくれば、

蚊も飛び始める。

 

 

道場にも蚊は入ってくる。

 

 

道場では

殺傷力の無い虫除け線香で

蚊の侵入を防いでいる。

 

 

それでも時々、

稽古中に蚊を見つけたら、

戸惑うことなく

両手で叩き潰す

子どもや大人がいる。

 

 

見るに見かねて

注意したことがある。

 

 

 

害虫とは

人間にとっては害虫でも

天地大自然には、

何かしら必要な生き物だ。

 

 

私達、人間が害虫と

呼んでいるだけなのだ。

 

 

小さな小さな虫にも

私達と同じ、

尊い命がある。

 

 

 

「あっ、蚊や」

子どもが迷わず、

手で叩き潰す。

 

 

それは家庭で

親がそうしているから

なのだろう。

 

 

そして、

そのような人ほど

自分や子どもの命は

何よりも大切で

あるかのように言う。

 

 

 

傲慢極まりない人だ。

 

 

合氣道では技を通して、

相手の立場に立って

相手の氣を尊重する稽古をして、

常日頃から身に付けているはずだ。

 

 

そのような

立ち居振る舞いをしていて、

合氣道が上達するはずはない。

 

 

 

別に、

合氣道は上達しなくても

構わないが、

 

 

そのような人や家庭に

幸せは訪れるのだろうか。

 

 

 

生き物の命を

奪っておいて、

哀れさも感じないような

心の人は

決して、

幸せにはつながらない。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝