" 国の成長を期する日に考えること "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・末候
七十二候
牡丹華 ぼたんはなさく
第十八候
「穀雨」は末候へと移りました。
「牡丹華」は4月30日~5月4日頃に相当します。
この候は、まさに牡丹の花が咲き始める頃です。
今日のお題
『 くに の せいちょう を きす る ひ に かんがえ る こと 』
今年のゴールデンウィークは
飛び石連休ですね。
ここからが後半の4連休です。
出かける予定がある人も多いことでしょう。
でも、その前に、
連休後半の初日、5月3日は「憲法記念日」です。
少し、「日本の最高法規」である
「憲法」について考えてみましょう?
先日、ある定食屋さんで
日替わりランチを注文しました。
その日のメニューは
豚の生姜焼き定食でした。
注文の際に、「ご飯大盛りできますか?」と
尋ねたところ、
前までは無料だったが、
最近の物価高と米価格の高騰で、
ご飯大盛り代110円かかると言われました。
それは、無理もないことです。
快く大盛り代を支払って、
美味しくお昼ご飯をいただきました。
「は?それが憲法と何の関係があるの?」
そう思われた読者の皆さんも多いはずですね。
それが大いに関係があるのです。
「日本国憲法」は、
私たちの国のあり方の根本を定める
大切なルールです。
そして、
憲法のもとには様々な法律があり、
私たちの社会や暮らしを形作っています。
『 あなたはこの問題、どう考えますか?
日本の「財政法第4条」改正案が問う、私たちの未来 』
突然ですが、
「財政法第4条」という法律をご存知でしょうか?
もしかしたら、
初めて耳にする方も多いかもしれません。
しかし今、
この法律の改正案が、
日本のこれからを考える上で、
非常に重要な
問題提起を私たちに突きつけています。
この法律、
第二次世界大戦後の占領期、
まもなく作られたものなのですが、
その内容と、
現代の日本の状況との間に
大きなギャップが生まれているのです。
それは一体、どういうことでしょうか?
『 戦後、占領期に生まれた法律が、今の日本にそぐわない?』
「財政法第4条」は、簡単に言うと、
国が「建設国債」という
特定の目的以外で
借金(国債発行)をすることを
原則として禁止しています。
つまり、後に残るもの、
たとえば、
道路の建設であるとか、
新たに橋を建設するとか。
それ以外は国債は発行できない。
敗戦以降、二度と戦争をできない国にするため。
簡単に言えば、そういうことです。
これは、「戦時国債」というもので、
今、戦争状態にある
ロシアもウクライナも
この「戦時国債」を発行しなければ、
戦争はできないのです。
日本も戦争中は、
無制限な国債発行をして、戦争をしました。
それは敗戦以降、
「二度と日本が戦争をする力を持たないように」という
強い意志のもとで、その憲法は作られました。
平和な日本を作るための、
いわば強力な「縛り」だったわけですね。
しかし、時代は変わりました。
今や、日本の安全保障を取り巻く環境も、
かつてとは比較にならないほど
変化し脅威が増しています。
日本が向き合うべき、抱える多くの「内憂外患」。
そんな中で、
「橋や道路の建設」のためなら
借金してもいいけれど、
たとえば、
「国家防衛」のためには借金がしにくい、
という現在の法律の規定が、
現実と合わないのではないか?
という声が上がっているのです。
実際、
自衛隊の船をつくる費用が
「建設国債」で賄われている
という事例があるらしいのです。
もし、それが事実であるなら、
法律の建前と実際の運用に
ねじれが生じているようにも見えます。
『 問われているのは、
戦後日本のかたちそのもの 』
この「財政法第4条」の
改正案をめぐる議論は、
単に憲法の条文を変えるか、
という話だけに留まりません。
これは、
私たちがこの80年以上築き上げてきた、
「敗戦後の日本」のあり方を根本から
問い直そうとする、動きなのかもしれません。
戦後の平和国家としての
歩みを守りつつ、
変化する世界情勢の中で
日本の安全保障や
未来の子ども達をどう護っていくのか。
そのためには、
経済的な基盤である財政のルールを、
現代に合わせて
見直す必要があるのではないでしょうか?
この問いに、
私たち一人ひとりが
向き合うことが今、求められています。
「自分の知ったことじゃない」などと、
他人任せにしてはいけないのです。
私たち日本国民が、
自分の頭で考えることか大切です。
政治の世界でも、
この問題について様々な意見があり、
活発な議論が行われているようです。
この難しい問題に、
どう折り合いをつけていくのか、
注目が必要です。
『 さあ、あなたはどう考えますか?』
「財政法第4条」の改正案は、
私たちの暮らしや
日本の未来に深く関わる問題です。
戦後の平和への誓いを
どう引き継ぎ、
同時に、
現代の課題にどう対応していくのか。
「憲法は変えるべきだ」という意見も、
「憲法は守らなければいけない」
「安易な借金には反対だ」という
意見もあるでしょう。
護憲派?
改憲派?
どちらの立場に立つにしても、
まずはこの問題を知り、
「自分ならどう考えるか」を
スタートさせることが大切だと思います。
ぜひこの機会に、
「財政法第4条」の改正案について
自分で調べ、自分の頭で考え、
周りの人や家族で話し合ってみてください。
お米や卵といった、
私たち日本国民になくてはならない
食料品やガソリンの高騰。
私たちの生活は日々、苦しいばかりです。
国会では
減税案が持ち上がっているようですが、
それも
一時的なものでは解決にはなりません。
以下は私の憶測ですが、
( でも本当は憶測ではありませぬ )
財務省官僚たちはこう言います。
「道路や橋を作ること以外、国債は発行できないんですよね?」
「国の借金ができないのなら財源確保できませんよね」
「だったら、財源を確保、維持するために増税やるしかないですよね」
そして、
私たち世論はこう言います。
テレビ、マスメディアでもこう言います。
「自民党も何やってんだよ」
「石破さんも総理なら何とかしろよ」
テレビやマスメディアでは
財務省や石破首相らを悪者扱いです。
でも、
よく考えてみてくださいね。
いくら、財務省を悪者にしても、
石破総理が情けない、などと
言っていても…
この「財政法4条」がある限り、
何も解決しないのです。
テレビでは報道されない、
この問題の根本はそこにあるのです!
「憲法9条」にしてもそうです。
また、折を見てこのブログでも
「憲法9条」に
触れていこうと思っていますが、
そもそも、「憲法」は
私たち日本国民が、
安全に、平和に、幸せに、
暮らすうえでのマニュアルにすぎず、
その時代や状況に応じて、
使い勝手が良いように
適材適所、変えていくべきものでは
ないのでしょうか?
「憲法9条」には、
われわれ日本国民を他国から護るための
条文が、一切書かれていないのです。
国や国民を護れなければ、
そもそも「憲法」も何もないでしょう。
戦後、占領期のどさくさ紛れに、
GHQ ( 連合国軍最高司令官総司令部 ) が
置いていった、
原文は英文で書かれた「 仮の憲法 」を
私たちは、
それにいつまで
縛られなければいけないのでしょうか?
「財政法4条」が変わらなければ、
消費税が20%や30%といった、
時代がやってくるかもしれません。
お昼のランチも
大盛り代が無料になるどころか、
今より多く支払わなければ、
お腹いっぱい食べられない時代が
すでにもう目の前にあるのです。
私たちの生活も、
この先の未来も、
私たち自身が考え、
選択していくことから始まるのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 毎日が「上り坂 」か「下り坂 」の選択だ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・末候
七十二候
牡丹華 ぼたんはなさく
第十八候
「穀雨」は末候へと移りました。
「牡丹華」は4月30日~5月4日頃に相当します。
この候は、まさに牡丹の花が咲き始める頃です。
今日のお題
『 まいにち が「のぼり ざか」か「くだり ざか」の せんたく だ 』
今日の自分は「向上」しているのか?
それとも、「下降」しているのか?
停滞はない。
あるとすれば、それは「下降」です。
それが、万物流転の理 ( ことわり ) です。
毎日がそのどちらかの選択の連続です。
たとえば、合氣道なら、
「あれ、最近なんだか全然伸びてない氣がする…」
合氣道の稽古に励む皆さんなら、
一度や二度はそう感じたことが
あるのではないでしょうか?
技をいくら繰り返しても、
体捌きがスムーズにならない。
受け身もなんだかぎこちないまま。
焦りや不安を
感じてしまうかもしれません。
でも、ちょっと考えてみてください。
私たちの人生も、
まるで合氣道の稽古のようなものです。
仕事、趣味、人間関係…
私たちは、
日々様々なことに取り組みますが、
" 上達しているのか "
" 下降しているのか " 、
" 向上しているのか " 、
" 低下しているのか " 、
という問いは、常に私たちの
生き方の大きな分岐点となります。
なぜなら、
万物は常に流転してやまないからです。
『 絶え間なく動き続ける世界 』
考えてみてください。
私たちの住む地球でさえ、
自転し、公転し、絶えず動き続けています。
川の流れは
一瞬たりとも同じ姿ではありません。
季節は巡り、
草木は芽吹き、
そして枯れていきます。
その中で、
" 人間だけがその場で立ち止まっている "
などということは、
絶対にありえないのです。
それは、
合氣道の稽古においても同じです。
現状維持に見える時期でも、
実際には微かに「前進している」か、
あるいは氣が付かないうちに
「後退している」か、どちらかなのです。
『 停滞期こそ「継続」の力が試される時 』
合氣道の稽古で、
なかなか上達を実感できない時期は
必ず誰にでも訪れます。
それは、
まるで暗いトンネルの中を
歩いているようで、
出口が見えず不安になるかもしれません。
しかし、
そんな時こそ、
基本に立ち返り、
一つ一つの技や姿勢を
丁寧に磨き続けることが大切です。
焦らず、諦めず、
弛まぬ努力を続けることで、
ある日突然、
視界が開けるような感覚、
「ああ、こういうことだったのか!」
という氣づきが訪れることがあります。
それは、
まるで長年土の中で
根を張り続けた植物が、
ある日、
力強く芽を出す瞬間に似ています。
自分では
停滞しているように思えた時期も、
実は、
" 成長のための準備期間 " だったのです。
『 " 現状維持 " という名の幻想 』
「今は特に変わりないから、現状維持でいいかな」
そう思う氣持ちもあるかもしれません。
しかし、
残念ながら、それは幻想に過ぎません。
なぜなら、
周りの環境や状況は
常に変化し続けているからです。
たとえば、
合氣道の稽古で、
周りの道友が新しい技を習得し、
どんどん成長していく中で、
自分だけが同じ所に留まっていたら
どうなるでしょうか?
相対的に見れば、
それは後退していると言わざるを得ません。
人生においても同じです。
時代の変化、社会の動き、
周囲の人々の成長…
常に変化する波の中で、
立ち止まることは、
押し流されることと同じなのです。
『 向上か、堕落か。毎日の選択 』
私たちは、
常に「上に進むか、下に落ちるか」の
二つの選択肢を与えられています。
それは、
大きな決断の時だけではありません。
日々の小さな選択の積み重ねが、
未来の自分を形作っていくのです。
今日の稽古で、
もう一回、基本技を丁寧に繰り返すのか、
それとも
「疲れたから」と手を抜いてしまうか。
仕事で新しい知識を学ぶ努力をするか、
それとも
現状維持に甘んじるか。
人間関係で、
相手を理解しようと歩み寄るか、
それとも
自分の殻に閉じこもってしまうか。
一つ一つの選択は
小さいかもしれませんが、
それが積み重なることで、
大きな差となって現れます。
『 合氣道の精神を人生の羅針盤に 』
合氣道の稽古を通して
私たちが学ぶことは、
単なる武道の技術だけではありません。
相手の氣を尊重し、
相手を導き、
自分と天地大自然が一体となる
合氣道の精神は、
時代や社会、人間関係などの
変化の波を上手に乗りこなし、
より良い方向へ
進むためのヒントを与えてくれます。
焦らず、力まず、
流れに身を任せながらも、
常に向上心を持って努力を続けること。
稽古で汗を流し、
技を磨く日々は、
まさに人生を切り開くための練習なのです。
さあ、
今日からまた一歩、
「上達への道」をともに歩み始めましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 「投げる姿は百合の花」と絶賛された理由 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・末候
七十二候
牡丹華 ぼたんはなさく
第十八候
「穀雨」は末候へと移りました。
「牡丹華」は4月30日~5月4日頃に相当します。
この候は、まさに牡丹の花が咲き始める頃です。
今日のお題
『 " なげ る すがた は ゆり の はな " と ぜっさん され た わけ 』
ゴールデンウィークがはじまり、
私が主宰する合氣道琴心館寺崎道場の
本拠地である神戸の道場には、
東日本から集まったお弟子さんたちの
熱意に満ち溢れていました。
今年も春の集中稽古が開催されました。
参加者たちは
日頃の鍛錬の成果を試すべく、
和やかな中にも
真剣な氣が道場を包んでいました。
そんな中、
その卓越した技と、
花のような美しさで注目を集めたのが、
東京から参加した日本女子のAさん ( 仮名 ) です。
基本動作、受け身、
そして応用技へと稽古が進むにつれ、
Aさんの繰り出す一つ一つの技は、
流れるようにしなやかで、
そして何よりも
見る者を魅了する美しさをたたえていました。
「Aさんの技はまるで、生きた花のようだね」
特に、
Aさんが相手の身体を受け流し、
体捌きから投げる一連の動作は、
まるで
計算されたかのように無駄がなく、
その動きの美しさに、
周りの参加者からは感嘆の声が上がりました。
「Aさんの技はまるで、立てば芍薬、座れば牡丹、投げる姿は百合の花だよ。」
それは、
Aさんの立ち姿の凛とした美しさ、
座った際の落ち着いた優雅さ、
そして何よりも、
相手を投げるその一瞬の動きが、
まるで百合の花が口を大きく開け、
そこから無限の氣を
発しているかのようであり、
それが風に揺れるようにしなやかで
生きた花のように美しかったことを表現した、
まさに的を射た
他の参加者からの称賛の言葉でした。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉がある。
この有名な言葉は、
美しい女性の立ち居振る舞いを花に例えたもの。
* " 立てば芍薬(しゃくやく) " とは、
芍薬がすらりと伸びた茎に
大輪の花を咲かせるように、
立ち姿が美しく堂々としている様子。
* " 座れば牡丹(ぼたん ) " とは、
牡丹がどっしりと落ち着いた姿で
咲き誇るように、
座っている姿が優雅で風格がある様子。
* " 歩く姿は百合の花(ゆりのはな ) " とは、
百合の花が風に揺れるように、
歩く姿がしなやかで優美な様子のこと。
本来は「歩く姿は百合の花」なのだが、
「投げる姿は百合の花」と形容した。
Aの技や、立ち居振る舞いも然る事ながら、
うまくその動作をその言葉で形容した、
その日本女子の「比喩力」と「表現力」に感心した。
彼女たちのようなお弟子さん方と
ご縁をいただけたことに深く感謝し、
" 自分は幸せな指導者である " とつくづく思います。
合氣道の奥深さと、技の美しさ
合氣道は、
力ではなく相手の氣を尊重し、円の動きで
相手との調和を生み出す武道です。
Aさんの技は、
その合氣道の精神を体現しており、
" 氣という力強さ " の中に、
洗練された美しさが共存していました。
日頃の鍛錬によって磨かれた技術と、
内面から溢れ出る品格が、
彼女の技をより一層、
魅力的なものにしていたのでしょう。
合氣道歴たったの三年そこらで
これだけのことができるのは、
道場の稽古だけでは到底不可能です。
この日本女子が日常生活において、
どれだけ「心のあり方」、「姿勢」、
「立ち居振る舞い」や
「氣の出し方」、「氣の使い方」等を
鍛錬しているのか。
まさにそれを証明するものでした。
集中稽古に参加した他のお弟子さんたちは、
Aさんの繰り出す美しい技に見惚れ、
自身の稽古に対する
意識を新たにしたことでしょう。
技の正確性はもちろんのこと、
その所作の美しさも
追求することの重要性を、
Aという日本女子は
その身をもって示してくれました。
ゴールデンウィークの神戸で、
一輪の美しい花のように、
その技で周囲を魅了した日本女子。
彼女の姿と、
それを心から応援する道友たちの姿は、
合氣道の奥深さと、
技の持つ美しさを
改めて私に教えてくれる、
一生忘れられない光景となりました。
私などには
本当にもったいない、ありがたい、
素晴らしい日本女子たちなのでありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 結果に一喜一憂しない「人生の種まき」思考法 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・次候
七十二候
霜止出苗 しもやみてなえいずる
第十七候
「穀雨」は次候へと移りました。
「霜止出苗」は4月25日~29日頃に相当します。
霜が降りなくなり、稲の苗がすくすくと育ち始める頃です。
今日のお題
『けっか に いっきいちゆう しない「じんせい の たねまき」しこう ほう』
努力が報われない?
結果に一喜一憂しない「人生の種まき」思考法とは。
「毎日尽力しているのに、なかなか成果が出ない…」
「この努力、本当に意味があるのかな?」
目標に向かって努力を続けていると、
ふとそんな風に感じて、
焦りや不安に襲われることはありませんか?
思うような結果が出ないと、
自分のやってきたこと
全てが無駄だったように
感じてしまうかもしれません。
でも、
努力の結果は、
自分でコントロールできないものです。
私たちはつい、
努力すれば必ず、
すぐに望む結果が得られると考えがちです。
しかし、
" 努力が実るかどうか " は
天にまかせてしまいましょう。
それが、
実は自然なことなのかもしれません。
まるで、畑に種をまくように。
たとえば、
良い土壌を選び、
適切な時期に種をまき、水をやり、
肥料を与えることは、
私たちができることです。
しかし、
その種がいつ、どのように芽を出し、
どれだけの収穫をもたらすかは、
天候や土の状態など、
自分ではコントロールできない
多くの要因に左右されます。
私たちの努力も
これと同じように思うのです。
できる限りの
準備と行動(=種まき)はできても、
その結果がいつ、どのように現れるかは、
私たちには決められないのですね。
大切なのは
「今日できること」に集中すること。
結果がコントロールできないのなら、
私たちは何に焦点を当てれば
良いのでしょうか?
答えは非常にシンプルで簡単です。
自分は、ただひたすら、
「その日その日の勤めを果たせばよい。」
だけのことだと思います。
つまり、
結果を心配するよりも、
「今日できること」
「今やるべきこと」に心を込めて
丁寧に取り組むことが大切なのです。
たとえば、
" 今日の学習目標を達成する "
" 今日の仕事や課題を丁寧にこなす "
" 今日出会った人に誠実に対応する "
こうした日々の
「勤め」=「種まき」を着実に続けること。
それこそが、
私たちがコントロールできる
唯一のことなのかもしれませんね。
「失敗」ではなく「時間差」
成果のタイミングは様々。
すぐに結果が出なくても、それは失敗ではありません。
すぐに芽を出す種もあれば、
長い時間をかけて
ゆっくりと成長する種もあります。
もしかしたら、
私たちがまいた努力の種は、
まだ地中で
力を蓄えている段階なのかもしれません。
あるいは、
予想もしなかった形で、
別の時期に、別の場所で
花開く可能性だって大いにあります。
私は合氣道道場を始めた頃、
その道場周辺地域に数万枚のチラシを
ポスティングしてまわりました。
しかし、
その新規開設した道場ではなく、
不思議と遠く離れた他の道場、教室に
問い合わせや、体験希望者があるのです。
それも一度や二度の話ではないのです。
そのような経験から、
短期的な結果だけで
「成功」か「失敗」かを判断するのは、
あまりにも早計ではないかと私は思います。
焦らず、結果が出るまでの
「時間差」を受け入れることが大切です。
人生は、はてしない「種まき」の旅。
人生は、はてしない種まき。
発芽も収穫も天地大自然の意のまま。
私たちの人生は、
まさに終わりのない「種まき」の連続です。
何か一つの結果が出たら終わり、
ではありません。
成功しても、失敗したように見えても、
私たちはまた次の種をまき続けます。
学び、挑戦し、経験し、人と関わる…
そのすべてが、
未来に向けた
種まきと言えるのではないでしょうか。
いつ、どんな花が咲くかは分かりません。
収穫の時期も、量も、
天に委ねるしかありません。
でも、それでいいのです。
大切なのは、
結果に一喜一憂せず、
日々の「種まき」そのものを大切にし、
希望を持って続けていくこと。
努力がすぐに報われなくても、
落ち込む必要は一切ありません。
私たちが一生懸命まいた種は、
決して無駄にはなりません。
結果は天に任せ、
私たちはただ、今日できることに集中し、
心を込めて「種まき」を続ける。
いつか、
思いがけない美しい花が咲いたり、
豊かな実りを得られたりするかもしれません。
たとえそうでなくても、
種をまき続けた私たちの人生は、
「それ自体が尊く、豊かなもの」に
なっているはずです。
焦らず、腐らず、自分を信じて。
私が主宰する
合氣道琴心館寺崎道場のお弟子さんの
進歩、成長も、
人によっては半年後、一年後、五年後、
もしかしたら五十年後かもしれません。
私が極楽浄土に行ってからかもしれないのです。
それで良いのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝
" 【衝撃の逆転劇】 遅咲きは宝の宝庫 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・次候
七十二候
霜止出苗 しもやみてなえいずる
第十七候
「穀雨」は次候へと移りました。
「霜止出苗」は4月25日~29日頃に相当します。
霜が降りなくなり、稲の苗がすくすくと育ち始める頃です。
今日のお題
『【しょうげき の ぎゃくてんげき】 おそざき は たから の ほうこ』
" 長所が短所になり、短所は長所にもなる "
この言葉は、
まるで人生のパズルのようです。
表と裏、長所と短所、プラスとマイナス。
それは、
私たち人間が持つ性質、
そして、
合氣道の奥深い世界にも通じる真理なのです。
秀でた才能の落とし穴:早すぎる成功が奪う成長の機会
合氣道の稽古を見ていると、
驚くほどの速さで技を習得し、
ある程度すぐに形にできる人がいます。
それは、
疑いようのない素晴らしい才能です。
しかし、
皮肉なことに、
その才能が更なる自身の成長を
妨げてしまうことがあるのです。
なぜなら、
比較的容易に初期段階の目標を
達成してしまうため、
満足感が早く訪れ、
探求心を失ってしまう傾向があるからです。
「もうこれで十分だろう」と感じてしまい、
本当に奥深い学びが始まる前に、
他の興味へと移ってしまう。
これは、
大人より子どもに
多い傾向にあるように思います。
また、
それは合氣道に限った話ではありません。
最初の段階で楽に成果を出せる人は、
その成功体験に安住してしまい、
深く掘り下げることを敬遠しがちです。
結果として、
" その才能は表面的なものに留まり、
真の力となる前に終わってしまう。"
まさに、
長所が短所へと転じる瞬間と言えるでしょう。
もちろん、
初期の段階で
素晴らしい才能を発揮しながらも、
飽くなき向上心、探究心を持ち続け、
高みを目指す人も確かに存在します。
しかし、
それはほんの一握り。
多くの人は、
早い段階での成功に甘んじてしまうのです。
遅咲きの底力:努力が刻む、誰にも負けない確信たる自信
一方で、
技の習得に時間がかかり、
周りの人よりも
遅れを感じてしまう人もいます。
これは、
紛れもない短所であり、
もどかしさや焦りを
感じることもあるでしょう。
しかし、
そこで諦めずに稽古を重ねることで、
少しずつ、しかし着実に、
身体は覚えていくものです。
その積み重ねられた努力は
決して裏切らず、
一度身についた技術は
確固たる自信へと繋がるのです。
そして、
困難を乗り越えて
習得した技術だからこそ、
「なぜできなかったのか」
「どうすればできるようになったのか」
という深い反省と理解が生まれます。
試行錯誤の過程で、
表面的な動きだけでなく、
技の本質、身体の使い方、
相手との呼吸といった、
より深いレベルでの
学びを得ることができるのです。
一つの目標に向かって
粘り強く努力し続ける力。
それは、
生まれ持った才能にも劣らない、
いや、
場合によっては
それ以上の価値を持つ才能と
言えるでしょう。
短所だと感じていたことが、
たゆまぬ努力によって磨き上げられ、
誰にも負けない強みへと変わるのです。
短所を才能に変える読書の智慧
では、
私たちはどのようにして
自分の短所を才能へと
転換していけば良いのでしょうか?
そのための重要なヒントの一つが
「読書」です。
書物には、
古今東西の賢人たちの知恵や、
様々な分野で成功を収めた
人々の経験が詰まっています。
読書を通して、
私たちは新たな視点や考え方を獲得し、
自分自身を
客観的に見つめ直すことができるのです。
飽きやすい人は、
多様なジャンルの本を読むことで、
知的好奇心を刺激し、
新たな興味の種を蒔くことにつながります。
物語に没頭したり、
偉人の生き様を知ることで、
一つのことを深く追求する面白さや、
継続することの意義を再認識できるはずです。
一方、
なかなか覚えられない人は、
じっくりと時間をかけて
知識を吸収していく読書の習慣が、
自身のペースで
理解を深める訓練となります。
図解や解説が丁寧な書籍を選べば、
視覚的な理解を助け、
記憶の定着を
促してくれるのではないでしょうか。
読書は、
まるで暗闇の中で灯りを見つけるように、
私たちが短所を克服し、
秘められた才能を開花させるための
道しるべとなってくれるのです。
短所という名の原石を磨き上げよう
「短所が長所になり、長所は短所にもなる」
この普遍的な真理を心に刻み、
自身の弱点だと感じている部分に
意識を向けてみる。
それは、
" まだ磨かれていない、
無限の可能性を秘めた才能の原石
なのかもしれません。"
焦らず、
諦めず、
地道な努力を続けること。
そして、
読書を通して
新たな知識や視点を取り入れ、
自己の向上に努めること。
そうすることで、
自分の短所は、
かけがえのない個性となり、
やがて誰にも真似できない、
あなただけの輝かしい才能へと
昇華していくのでありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝