子どもたちの長所を伸ばしてあげましょう!
子ども合氣道の稽古では、子どもたち一人ひとりの「長所を見つける」ことが大切です。
どんな子どもでも、良いところの一つや二つはあるもので、指導者はそれを伸ばしてあげることを心掛けるべきです。
合氣道指導者として10年が経ち、数え切れない程、たくさんの子どもたちと稽古を通じて接してきました。
そんな中、怠け癖があり、どことなく表情の暗い、一人の子どもが入門してきました。
学校から帰宅し、すぐに道場に来て稽古することに「休みたいな」と思うことは誰にでもありますよね。
数年間、稽古を続けても怠け癖は、なかなか改善出来ません。
でも道場に来ると、凄く氣が出るんです!
受身も積極的に取り、後輩の面倒も見れます。
受身が上手い、後輩の面倒を見れるというプラスの部分と、怠け癖というマイナスの部分。
ある年の合同稽古の日が迫った、稽古で「その華麗な受身を大勢の人が見ている前でやってみようか?君なら出来る!」と師範演武の受けに、その子どもを指名しました。
合同稽古では所属道場以外の普段稽古で会うことのない、他の子どもたちや大人の門人に加え、子どもたちの保護者の方など多数の人が見ている中で受けを取ることになります。
もちろん、その子どもにとっては初体験です。
後日、感想を聞いてみると「めっちゃめっちゃ緊張して、頭の中真っ白でした」と笑顔で答える、その子どもに「これからも、ことある毎に、受けを頼むよ」と伝えました。
それ以降、以前に比べ、稽古を休む日も少なくなり、これまで以上に、氣を出し、後輩の面倒を見れ、受身の精度が数段に上がり、表情も明るく良くなりました!
今も元氣に道場に通い、少年部の中心的な存在になっています。
人には誰にでも、プラスとマイナスがあります。
物にもプラスの面とマイナスの面があります。
物に光を当てれば、明るい部分と暗い部分が必ずあり、そのどちらも正しい。
インターネットの普及により、今や欠かすことのできないSNSなども良い面と悪い面があります。
その良い面を活かすということ。
子どものみならず、大人でもその人の長所を伸ばしてあげること。
「舎短取長」
しゃたんしゅちょう
子育ても同様です。
人を導く上で非常に重要なキーワードです!
対人関係も然り。
相手のプラスの面で付き合うと、プラス部分がマイナスをカバーし、マイナスを出さずに、相手もプラスで付き合ってくれます。
合氣道の稽古とは、人生の稽古であります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 寺崎 秀行
愉快に人のために
合氣道琴心館寺崎道場 道場長の寺崎 秀行です。
まず最初に一般に合氣道といっても、たくさんの流派、団体があり、それぞれ目的や稽古法、心身の使い方など異なります。
ここに記す内容は、「合氣道琴心館寺崎道場」に基づくものであります。
さて、合氣道創始者である植芝盛平翁は「稽古は愉快におこなわねばならない」と説かれました。
愉快に稽古することで、リラックスでき、自身の心身をのびのびと使うことができます。
真剣に稽古する中で、難易度の高い技の稽古でも、愉快であるから面白く、楽しく、やる氣も増し、一緒に稽古する相手も愉快になります。
「一緒に稽古する相手も愉快になる」
これが1つのキーワードです。
自分がプラスの氣を発すれば、それが相手にも伝わり、相手もプラスの氣を出します。
それが道場全体に広がります。
自分を成長させるために、熱心に稽古することは良いことですが、あまり上手くいかない時が多々あります。
では良い方法は?
それは「相手を成長させてあげること」
もっと言うなら、
「人のために稽古すること」
これが最重要キーワードです!
合氣道の組技は、相手がいるから稽古できるものです。
まず、相手を尊重し、相手の立場に立って、相手を少しでも上達させるために自分が何をすべきか?
それを常に考え、行動する人は必ず上達します!
たとえ、先輩で、相手が自分より級、段位が上であっても、その人のために稽古することです。
ついつい、私達は自分が上達したいから、成長したいからという思いのみで稽古してしまい、思うように上達しないから、さらにもっと自分のために稽古を重ねます。
重ねても重ねても、上達しないから、そのうち嫌になって道半ばで、自ら稽古を止めてしまうという悪循環に陥ってしまいます。
そもそも合氣道の技は、自分の都合の良いように相手を投げようと思っても技が効きません。投げることが出来ません。
私自身も稽古を止めてしまったことは無いですが、この悪循環に陥った経験があります。
もともと、人は一人では生きていけません。
私達の住んでいる地球と人の関係はどうでしょう?
太陽からの光を受け、空氣があり、たくさんの動植物のおかげで私達は生かしていただいています。
そして生活していく上で、人との繋がり無くしては何の仕事も成り立ちません。
人のために役立つ自分に、地球のために役立つ自分になるためには、自分自身がより成長しなくてはなれません。
そういう心得を持続するには、自分の心が静まっていなければ出来ませぬ。
そのために日頃から呼吸法をして、常に心を落ち着くべき所「臍下の一点」に静めていなくてはなりません。
その日頃の鍛錬があるからこそ、自分自身が上達、成長出来るのです!
日本をもっと良い国にし、日本のみならず、世界を、もっと言うなら、私達生命を育んでくださる地球のために自分自身ができることを考え、行動することが大切です。
人のために生きれば、戦争なんか起こるはずがありません!
人のために生きれば、いじめなんかあるはずがありません!
人のために生きることは尊いものです。
合氣道の稽古はその最たるものです。
合氣道には、今の日本を変える力を持っていると私は信じてます。
まずは今の自分に出来ることからはじめよう!
相手を愉快に、相手のために稽古をする心得で道場に行くなら、
カビの生えたような薄汚い稽古着など着用するはずがないでしょう。
相手の手を持ったときに、相手の手指を傷つけてしまう可能性がある爪を、伸ばしたままにするはずがないでしょう。
自ずと身だしなみも整うはずですよね!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
人は必ず育ちます
合氣道琴心館寺崎道場 道場長の寺崎 秀行です。
まず最初に一般に合氣道といっても、たくさんの流派、団体があり、それぞれ目的や稽古法、心身の使い方など異なります。
ここに記す内容は、「合氣道琴心館寺崎道場」に基づくものであります。
昨日は淡路市東浦サンパーク柔道場(正式には淡路市東浦P&G海洋センター2階トレーニングルーム内柔道場)にて全身全霊で語り、語り、身体を動かし、お弟子さんとお稽古してきました。
教える立場の指導者、師範、先生と呼ばれる立場の人は常に相手(お弟子さん)の立場に立って指導しなければなりません。
子どもには子どもなりの、親子には親子なりの、初心者には初心者なりの、上級者には上級者なりの、指導者育成にはそれなりの、それぞれの稽古の仕方があります。
例えば、上級者でも指導者を目指す者と、そうでない者とでは指導方法も内容も違います。
人を教える立場の指導者は道場での稽古において、工夫をしなければなりません。
いくら自身が内弟子修行を積んでいても、それをそのまま上級者だから指導者育成と同じ稽古しか出来ない師範がいたとしたら、それは師範の稽古への工夫の無さであり、怠慢としか言いようがありませぬ。
植芝盛平翁が創始なさった日本の武道である合氣道も、今やたくさんの流派があり、派生し、団体が違えば、技も目的も違います。
同じ流派であっても先生、指導者、師範により違います。
極まれな武道愛好家や、研究熱心な人は例外ですが、ほとんどの一般の人が近くの道場や教室で合氣道を始めるにあたって、その会や団体が「どのような目的を持つ合氣道」なのか?など知らずに入門してきます。
「どのような目的を持つ合氣道」なのか?
それは非常に重要な事です。
入門した人には、まず、最初にそれをしっかり教えなければなりません。
最初が肝心要でございます。
入門して5年以上のベテランが未だ、その意味が分からない。
だから本当の意味での上達ができない。
技ができるから上達ではありませぬ!
私達の所属している団体では、「力を抜くこと」を稽古します。
でも何故、力を抜かなければならないのでしょうか?
その意味をお弟子さんが良く理解できるまで、言葉で教えなければなりませぬ。
難しい言葉で教えることは簡単であり、誰にでもできます。
それを簡単に分かりやすい言葉で、教える努力をしなければなりません。
そして、言葉だけでは理解できない領域は正しい姿勢の確認と、身体を動かし、組技、体術で指導しなければなりません。
自分は話すのが苦手だから、言葉で教えることができない指導者は勉強と努力が不足しています。
もっと言うなら指導者失格!
言葉を発することができる人なら、誰でもできる事だと私は思います。
人は必ず育ちます!
当会が何の目的を持って稽古している合氣道なのか?
今日もそれを全身全霊で語り、語り、語ってまいりました。
その人が深く理解できるまで、根氣良く続けなければなりませぬ。
お弟子さんは師範に沿って成長します。
師範はお弟子さんを教えることで成長します。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。