" 自分に才能があるとするなら "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『じぶん に さいのう が ある と するなら』
才能とは
" 物事を巧みに成し遂げる優れた能力 " のことだ。
「自分に才能なんてあるのかな?」
自分自身で考えてみた。
いくら考えても「ない」。
自分に才能など何もない。
考えても、考えても、ない。
人より劣っていることばかりだ。
でも、
一つだけあるとすれば、
" 続けることができる " ということ。
粘り強く、
根氣良く、
やり続けるために
努力することはできる。
そんなことが "才能 " なのか?
自分自身で恥ずかしくなる。
しかし、
どなたかの著書にあった言葉。
それは、
" 才能とは継続できることである "
そう記されてあった。
それを素直に
甘んじて受け入れると、
不肖、私にも
僭越ながら
「続ける」という
" 才能 " があるのかもしれない。
天地大自然から
与えられたものかもしれない。
もし、
そうだとするなら、
それをどう使うか?
それをどう活かすか?
どう活用するのか?
それを考えるべきだ。
天地大自然が
自分に " 才能 " を
与えてくださっているなら、
それは
人のため、社会のために
使わなくてはならない。
こんな
私のような未熟者にも
まだまだ
やれることが
あるのじゃないか。
そう思うと心は晴れる。
たとえ微力であっても、
世のため、人のために
なることを一つでもやろう。
よし、
今日も根氣良く、粘り強く
やり続けよう。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 任すべきこと "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『まかす べき こと』
人間は自分の自由意思で
選ぶことが出来ない
ことがある。
それは
「生きること」と
「死ぬこと」である。
まだ自分は「生きたい」
そう思っていても
死ぬ時は死ぬ。
一方で
もう「死にたい」と
思っていても死ねない。
自ら自決しようとするも
死ねない人や
大惨事に見舞われても
生き残る人もいる。
決して自分の意思では
決めることが出来ない。
「何故生きているのか」だとか、
「いつ死ぬのか」だとか、
どうにもならないことを
思い悩んではいけない。
それは
「生と死」だけのことではない。
世の中には
いくら考えても
どうにもならないことが
多くある。
いくら考えても
どうにもならないことは
人間の考える分野ではなく、
天地大自然の分野である。
天地大自然の役割り分野に
人間が加担するほど、
天地は愚かではない。
人間の意思で
どうにかなる部分だけを
しっかり考えろということだ。
天地大自然の役割り分野は
それはそれは偉大だ。
人間では手の施しようがない。
手の施しようのないことは、
どんなことをしても
手が施せない。
それを「無理」というのだ。
天地大自然の理に適ってないのだ。
「無理」なことは
悩んではいけない。
悩みに悩み、
思い考えた結果、
知恵となり力となる
ことも確かにある。
しかし、
どれほど悩み考えても
絶対に解決しないことは、
天地大自然に " 任せれば良い " 。
全て
天地大自然が解決してくれる。
「未解決というのも一つの解決だ」
そう藤平光一翁は生前説かれた。
「生と死」、
そして
手の施しようのないことは、
受け入れるより
他に出来ることはない。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" やれない理由探しは退化の始まり "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『やれない りゆう さがし は たいか の はじまり』
前のエントリーと
重複するが、
何事も
無理、出来ない。
そう思った瞬間から
何も出来なくなる。
時間が、距離が、仕事が、
年齢が、疲れる、
面倒くさい、やりたくない…
出来ない理由は
探せばいくらでもある。
いくらでも出てくる。
それを自ら肯定する。
その結果、
道は閉ざされる。
成るものも成らなくなる。
出来ない理由を探して、
それを自ら肯定した。
その瞬間から
その人は退化の道を歩むのだ。
人間劣化の道を歩むのだ。
心の劣化は
廃人を意味する。
やろうと思えば、
いくらでも工夫して
それなりに出来るものだ。
その氣になれば、
いくらでもやりようがある。
本当に
やりたいことであれば、
やる努力はするものだ。
時間的に、仕事に
家庭に、肉体的に
制約がある
厳しい状況下であっても、
本当に好きなことなら
何としてでもやるはず。
それが出来ないのは
「やる氣がないから」
「その氣がないから」
ただそれだけ。
「行けませんでした」
「出来ませんでした」
やる氣がないだけ。
人の言動見ていたら
すぐ分かりますよ。
分からないふり
氣付かないふりを
してやっているだけですよ。
見窄らしい下下の言い訳も
理解してもらったとでも
思っているのかねぇ?
愚かなことだねぇ…
いくら肉体的に
疲れようが、
一日やるだけやった。
出し切った。
色んな制約のある中で
絞り尽くした。
その結果、
身体は疲労困憊になる。
しかし、
心は晴れ晴れとする。
だから健康でいられる。
それが一番尊いのだ。
「出来ませんでした」
「行けませんでした」
「無理です」
そんな事を
言っている人の
心はいつも曇っている。
言い訳して
心が晴れるはずがないだろ。
人のために尽くせば
世の中のために尽くせば、
" しんどい " だとか、
" 無理 " だとか、
" 遠い " とか、
" 時間がない "
" 金がない " とか、
責任持って
私が言い切ってやる。
そのような言葉は
絶対に出てこない。
「ありがとう」
感謝の言葉しか出てこない。
口では " 人のため "
などと言いながら、
所詮、自分本位の考えだ。
そんな人は
人のためには尽くせない。
その器も資格もない人だ。
やれない理由探しは
退化、劣化の始まりだ。
人間の存在価値とは
「人のために生きる」
ことだ。
賢者はいち早く
それに氣付くが、
愚者は永遠に氣付かない。
あんたはどっちや?
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 思わない限り実現しない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おもわない かぎり じつげん しない』
何かをしようとする時、
まず最初に
思うことから始まる。
思わない限り、
何も実現はしない。
「何だかやる氣になってきたな」
「よしそうと決めたらやってみるか」
そこから何事も始まるのだ。
近くに美味しい
中華料理屋があるとする、
そこは日本全国から
客が訪れ、
連日長蛇の列だとしよう。
自宅のすぐ近くだから、
行こうと思えば
いつでも行ける。
でも中華料理が
嫌いな人は行かない。
永遠に行かない。
いくら近くの店でも
嫌いなものを
わざわざ食べに行こう
とは思わない。
それはその人が
" 食べる氣がないから " である。
その氣がないから
永遠に実現しない。
ものごとは何でもそうだ。
嫌い、
行きたくない、
無理、
遠い、
疲れる、
年齢的にしんどい、
仕事が、
時間が…
いくらでも
" やれない理由 " はある。
できない、できない。
無理、無理。
そう思った瞬間から
何もできなくなる。
出来るものも、
出来なくなる。
成るものも、
成らなくなる。
「よし、やってみるか」
「一度、食べてみるか」
そう思えば、
道は開けるのでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝
" 出しきらないと力はつかない "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『だしきらないと ちから は つかない』
力は出しきるから
力がつくのだ。
勇氣も出さないと
勇氣は出ない。
呼吸も吐かないと
息は吸えない。
氣は出せば
入ってくる。
なんでも
出せば入ってくる。
ためたら腐る。
学んだことは
自分のものだけに
してはいけない。
惜しみなく
人に教えれば、
また新たなことが学べる。
もったいないなどと
貯め込んで
自分だけのものに
したりすると、
それ以上は学べなくなる。
より学びたければ、
より力をつけたければ、
より氣を出したければ、
より多く息を吸いたいなら、
空っぽになるまで
出し切ることだ。
会得したものを
全て手放すことだ。
今日も一日やり切った、
出し切った、
何もかも手放したら、
ぐっすり眠れる。
出した以上のものを
天地大自然が
与えてくれる。
まことに
ありがたいことでありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝