今日の一言 2026-03-12 (木)
道場長の一日一心 " お菊とお岩の怨念が交差する魔の道。終わらない「10枚」の呪い【帯坂】編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
啓蟄(けいちつ)次候
七十二候
第八候 桃始笑(ももはじめてさく)
3月10日~14日ごろ。
桃の花が咲きはじめるころ。
古くは、
「笑」と書いて「さく」と読み、
花が咲くことを
「笑う」と表現していたそうです。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おきく と おいわ の おんねん が こうさ する ま の みち。おわらない「じゅうまい」の のろい【おびざか】へん 』
3月4日の記事の続きです。
エントリーは コチラ から。
東京には、
江戸時代から続く
由緒ある坂道が
今も数多く残されています。
一月の東京出張では、
そんな古 (いにしえ) の坂道を
自分の足で巡ってきました。
その一つひとつを
自分の足で巡り、
古の「氣」を感じるのが
私の楽しみでもあります。
千代田区九段南から
市ヶ谷駅方面へと下る、
細く薄暗い
緩やかな坂道。
「靖国通り」からだと
九段南四丁目と五番町の境界を、
日本棋院を右手に見ながら
南に上る坂です。
その入り口に立つ
歴史標識には、
こう刻まれています。
帯坂(おびざか) (Hill of Obi)
江戸時代の
有名な怪談「番町皿屋敷」に
登場するお菊が、
髪を振り乱して
帯を引きずりながら
通ったという
伝説から
名付けられたと言われます。
この坂は、
怪談お菊にまつわる
「皿屋敷」の怪談話の中で、
お菊が殺害された後、
幽霊となって井戸を離れ、
この坂を通り抜けたと
される場所です。……
(現地標識より抜粋)
「一まい、二まい……」
夜な夜な
井戸の底から
皿を数えるお菊の声。
想像するだけで
背筋が凍ります。
しかし、
この標識を読んで、
私はさらに深い、
言葉にできないような
身の毛もよだつ
「氣」を感じたのです。
「皿屋敷」の怪談で
なぜ「10枚」の皿が
使われるか、
その理由を
ご存知でしょうか。
実は、
日本の伝統的な
風習において、
奇数は尊ばれる「陽」の数
(割り切れない数)ですが、
偶数は「陰」の数
(割り切れる数)とされ、
祝儀などの
喜び事には
避けられる傾向にあります。
したがって、通常
皿のセットは
「5枚」が基本です。
それをあえて、
割り切れる
不吉な「10枚」と設定する。
これは、
お菊の怨念が
単なる
一時的なものではなく、
割り切れる
(終わりのある)
恐怖ではなく、
終わりのない、
どこまでも続く恐怖。
「10」という
終わりのない不吉なリズム。
それが
お菊の怨念そのもの。
でも結論から言うと、
これは、
割り切れない怨念
そのものを暗示させる、
当時の
江戸のクリエイターたちによる
実に見事な「演出」 だったのですね。
なぜなら、
この「帯坂」の標識には
こうも書かれてあります。
" 話の中ではお菊は殺害され
井戸に投げ込まれているので、褄が合いません "
また、
この恐怖が
「架空」のものであることの証拠に、
「舞台設定の齟齬(そご)」があります。
お菊が
非業の死を遂げた
架空の屋敷(青山主膳の屋敷)が
あったとされる
江戸時代の「五番町」は、
現在の「英国大使館」がある
千代田区一番町付近にあたります。
実は
この「帯坂」と英国大使館は、
直線距離にして
1キロ以上、
大人の足で歩いても
20分ほど離れています。
想像してみてください。
理不尽に
指を切り落とされ、
井戸に投げ込まれ、
命を絶たれた
血まみれのお菊が、
わざわざ
1キロ以上もの暗い夜道を、
長い帯を
ずるずると引きずりながら、
この坂まで
這いずってきたという情景を……。
つまり、
怪談における皿の数が、
あえて割り切れる
不吉な「10枚」に
設定されているのも、
終わりのない
底なしの怨念を
暗示させる
見事な仕掛けだったのです。
「なーんや、ただの作り話か?」
しかし、
私はこの「帯坂」に
ただの作り話では
片付けられない恐怖を感じました。
それは、
坂の入り口に立つ標識には、
さらに身の毛もよだつ
一文が刻まれていたのです。
『東海道四谷怪談』のお岩が通った…
お菊だけでなく、
あの伊右衛門への怨念に狂った
「お岩」までもが、
この坂を
通り抜けたというのです。
日本を代表する
二大怪談の
ヒロインの情念が、
なぜか
この全く関係のない
一本の坂道で交差している。
「番町皿屋敷」も
「四谷怪談」も、
物語の多くは
後世のフィクションで
固められています。
さはさりながら、
「全く何もないところから煙は立たない」
のではないでしょうか?
実は、
「皿屋敷」の怪談には
恐るべき
“真実のルーツ” が存在します。
それが、
兵庫県姫路市 「姫路城」を
舞台とした
「播州皿屋敷」です。
戦国時代、
姫路城の乗っ取りの陰謀を
探り出し、
濡れ衣を着せられて
責め殺された
実在の下女・お菊。
姫路城には今も、
お菊が投げ込まれた
本物の「お菊の井戸」が
存在しています。
私は神戸市在住ですので、
姫路城へは
これまでも何度も訪れ、
実在する
「お菊の井戸」を
何度も見てきました。
また、
JR姫路駅から徒歩約10分のところに
「お菊神社」もあります。
主家に忠節を尽くした
お菊を称え、
「三菊大明神」として
祀られたのが始まり。
特に女性の守り神や、
皿に願いを書く奉納などで知られます。
私は以前、
「お菊神社」へ参拝した際、
社務所で「御朱印」をいただき
宮司さんと
お話する機会がありました。
「お菊さんはね、とても立派な優しい心を持たれた方だったのね…」
その宮司さんの
言葉がとても印象に残っています。
話を元に戻すと、
江戸のクリエイターたちは、
この姫路の
生々しいお家騒動から
「下女のお菊」
「10枚の皿」
「井戸」という
骨組みだけを抽出し、
江戸っ子向けに
「番町皿屋敷」として
作り直しました。
つまり、
姫路という地で
燃え上がった
本物の怨念の「火」が、
遠く離れた
江戸の地に
恐ろしい「煙」を立たせたのです。
ではなぜ、
フィクションであるはずの
江戸の怪談の「煙」が、
舞台設定から1キロも離れた
この「帯坂」に
ねっとりと定着し、
さらには
「お岩」の伝説までも
引き寄せたのか。
それは、
この「帯坂」という
土地そのものが持つ、
ドロドロとした
暗い「氣」のせいだと
私は直感しました。
地形が持つ
特有の陰鬱(いんうつ)さなのか、
かつて
ここを通った
無数の人々の
悲哀(ひあい)が
染み付いているのか。
暗く重い念を
引き寄せる
強烈な
磁場のようなものが、
ここには
確かに存在しているのです。
合氣道は「感性」が大切です。
目に見える情報や、
「歴史上のフィクションである」という
頭での理解を超えて、
その場に漂う
見えない
「氣」や「念」を
感じ取る力。
それは、
相手の殺氣や意図を
瞬時に察知し、
和合へと導く
武道の真髄そのものです。
姫路から江戸へと
伝播した
終わりのない
「10枚」の呪縛。
そして、
1キロの距離を超えて
怪異を引き寄せる
「帯坂」の不氣味な磁場。
なぜ、
この坂が
「帯坂」と名付けられたのか?
その本当の真意を
全身で確かめるため、
私は決意しました。
昼間の人通りの多い
喧騒の中ではなく、
人通りの完全に途絶えた
「真夜中」に、
もう一度
この「帯坂」へ向かうことにします。
自分の感性だけを
頼りに、
漆黒の闇に沈む
坂道に立った時、
果たして
私は何を感じるのか。
足元から
這い上がる冷氣か、
背後を通り抜ける
帯の音か、それとも……。
そのご報告は、
また無事に帰ることができたなら、
お話しすることにしましょう。
さて、
こうして千代田区に残る
いくつかの古道を巡った後、
私たちは、
次なる目的地である
「文京区」へと足を踏み入れました。
しかし——。
実は、
この怨念渦巻く
「帯坂」よりも、
さらに身の毛もよだつ
恐ろしい坂道が
『2カ所』も存在していることなど……
この時の私は、
まだ知る由もなかったのです。
私たちの
古の江戸を歩く旅、
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝