2024-08-06 08:03:00

" 腹が減っては戦はできぬ "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『はら が へって は いくさ は できぬ』

 

 

 

昨日、

 

靖國神社に参拝した。

 

わが国の平和と繁栄は

 

246万6千余柱の

 

英霊の尊い

 

いしずえのうえに

 

築かれていることを、

 

 

 

われわれ日本国民は

 

決して忘れてはなりません。

 

 

 

靖國神社内苑にある

 

遊就館には

 

幕末以来、

 

国のために尊い命を捧げ、

 

靖國神社に祀られた

 

御祭神の貴重な遺品、

 

さまざまな戦争に関する

 

史資料、武具甲冑、

 

宝物などを保存、

 

展示されている。

 

 

 

ここに来れば、

 

近代日本の歩みを

 

知ることができる。

 

 

 

その遊就館の

 

今年の特別展は、

 

軍隊と「食」がテーマでした。

 

 

 

遊就館収蔵の

 

御遺品の中から、

 

「食」にまつわる

 

品々を展示、

 

エピソードをそえて

 

紹介されていました。

 

 

 

また

 

例大祭をはじめ

 

様々な祭典にかかせない

 

「神饌」(神様へお供えする食事)や

 

全国から奉納される

 

まごころこもる品々が

 

紹介され

 

 

 

英霊奉慰のために

 

「食」を捧げる

 

重要性について考え、

 

 

 

陸海軍の

 

「兵食」の

 

歴史をひも解き、

 

当時のレシピを

 

再現されていました。

 

 

 

ご本人のものであることが

 

推測される

 

名前の書いた

 

凹みや錆のある水筒や、

 

 

 

硫黄島(いおうとう)で

 

発見された

 

焼け焦げた乾パンなど。

 

 

 

その中で

 

当時の写真と共に

 

こんな言葉が

 

書かれてありました。

 

 

 

それは

 

「戦場で兵士が最後まで持っていたのは武器弾薬ではなく食事に必要な飯ごうの中ぶたとスプーンだった」

 

 

 

それを見た時、

 

私はその場から

 

少しの時間動けなかった。

 

 

 

食料も水もない硫黄島で

 

どうやって

 

戦ったのだろうか。

 

 

 

食べることも

 

飲むこともできない、

 

 

 

いつ死ぬかもしれない

 

極限状態で、

 

戦うことなど

 

できるものなのか。

 

 

 

硫黄島には

 

川がないから、

 

飲水は雨水を貯めた

 

ドラム缶の中の熱湯なのだ。

 

 

 

それも

 

自分や家族のためでもなく、

 

 

 

後世の我々のためだけに

 

命を捧げられた。

 

 

 

その事実の上に

 

今こうして

 

私達は何不自由なく

 

生きているのだ。

 

 

 

 

 

「食べる」

 

ということは

 

 

 

生きていく上で

 

基本中の基本だ。

 

 

 

 

 

思えば、

 

私の母も

 

「コーヒーをがぶ飲みしたい」、

 

「スイカを食べたい」など

 

亡くなる数年前には

 

食べることしか

 

言わなかった。

 

 

 

心臓の手術から

 

誤嚥性肺炎を引き起こし、

 

亡くなる前の5年間は

 

食べたいものも

 

飲みたいものも

 

誤嚥するから許されず、

 

寝たきりだった。

 

 

 

小学校からの友人も

 

ガンで亡くなる前の

 

数年間は

 

食べ物の話しかしなかった。

 

 

 

 

 

日常生活のなかで

 

普通に

 

腹が減り、

 

 

 

腹が減ったら、

 

いつでも

 

好きなものを

 

食べることができる

 

ということが、

 

 

 

どんなに

 

幸せなことなのだろう。

 

 

 

 

 

ついつい、

 

仕事や家事、子育てに

 

追われる日々のなかで、

 

 

 

私たちは

 

大切なことを忘れている。

 

 

 

腹が減ったら

 

食べるということは

 

決して

 

当たり前ではないのだ。

 

 

 

 

 

「腹が減っては戦はできぬ」

 

 

 

人や国や

 

相手と戦うことだけではなく、

 

 

 

腹が減っては

 

生きるという

 

基本の生活すら、

 

ままならない

 

状態になるのだ。

 

 

 

 

 

それを思えば、

 

 

 

私たちの

 

苦労や悲しみなど、

 

 

 

苦労ではなく、

 

悲しみなどではない。

 

 

 

だって

 

腹が減ったら

 

食べれるのだから。

 

 

 

それだけで幸せですよ。

 

 

 

あらためて、

 

食べる、飲める

 

ということに

 

感謝して、

 

 

 

私達は

 

生きてゆかねば

 

なりませぬ。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

 

 

2024-08-05 08:10:00

" 袖触り合うも他生の縁 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『そで ふりあう も たしょう の えん』

 

 

 

「袖触り合う」は「袖触れ合う」、

 

「他生」は「多生」と

 

言いあらわし方は

 

色々あるようだ。

 

 

 

「他生」とは、

 

今世から見た

 

過去と未来の

 

生のことを意味する。

 

 

 

一方

 

「多生」は、

 

何度もこの世に

 

生まれ変わることを

 

意味しているらしい。

 

 

 

「袖触り合うも他生の縁」

 

というのは

 

 

 

道を行く時、

 

見知らぬ人と

 

袖が触れ合う

 

程度のことも

 

前世からの

 

因縁によるとの意。

 

 

 

 

 

どんな小さな事、

 

ちょっとした

 

人との交渉も

 

偶然に起こるのではなく、

 

すべて深い宿縁によって

 

起こるのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

そう考えると、

 

 

 

今回の東京出張の

 

初日におても、

 

朝に家を出て

 

JRで新大阪、

 

新幹線で品川、

 

京急、都営浅草線、

 

大混雑のゆりかもめ等、

 

 

 

ゆったりと席に座れても

 

吊り革を持てないほどの

 

混雑した車内でも、

 

 

 

人の目の前で

 

大声で話す外国人家族も、

 

 

 

炎天下の横断歩道で

 

すれ違う人も、

 

 

 

夜は心地良い風が吹く

 

隅田川テラスを

 

散歩している人達も、

 

 

 

宿泊先のホテルの

 

エレベーターで

 

一緒に乗る人も、

 

 

 

全て

 

自分と何らかの

 

ご縁がある人々

 

ということになる。

 

 

 

 

 

それを思うと、

 

好む好まざるは

 

別として、

 

 

 

少しでも笑顔で

 

ご縁のある人達と

 

接したいと思った。

 

 

 

 

 

家族や友人や

 

毎日顔を合わす

 

職場の上司、先輩、

 

後輩、同僚の人達とは

 

もっと縁の深い人

 

ということになる。

 

 

 

私の場合においては

 

合氣道寺崎道場の

 

門人の方々とは

 

相当ご縁が深い

 

ということに

 

なるのですね。

 

 

 

 

 

この世に生きる

 

私達は皆、

 

 

 

出会った人とも

 

出会った物とも、

 

 

 

その全てと、

 

いつかは

 

お別れしなくては

 

ならないときが

 

必ず来ます。

 

 

 

いつ

 

その時が来ても

 

後悔しないように

 

 

 

真心を持って

 

人と接しなくては

 

なりませんね。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-02 04:21:00

" 生き方を学ぶもの "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

『いきかた を まなぶ もの』

 

 

 

私は

 

合氣道とは

 

「生き方を学ぶもの」と

 

考えています。

 

 

 

技の向上が

 

人として成長するもの

 

だと確信しています。

 

 

 

合氣道は

 

必ず相手がいます。

 

 

 

もし、

 

その相手が

 

盤石な姿勢をした

 

強者なら

 

そう簡単に

 

投げることはできません。

 

 

 

その強者を

 

投げることができたなら、

 

あなたも

 

その強者と

 

同様の盤石な姿勢を

 

維持した

 

強者という

 

ことになります。

 

 

 

 

 

従って、

 

私はこう思うのです。

 

 

 

合氣道は

 

「人のために稽古する」のです。

 

 

 

その日の稽古で

 

自分と組んだ相手を

 

伸ばしてあげる。

 

 

 

自分の上達ばかり

 

考えて稽古していたら

 

上達しないのです。

 

 

 

自分のことは

 

脇に置いておいて、

 

相手を

 

上達させてあげたら、

 

 

 

勝手に

 

自分も

 

上達するのです。

 

 

 

相手のレベルが

 

上がれば、

 

自分のレベルも

 

上がるのです。

 

 

 

 

 

門人の一人に

 

神奈川県藤沢市出身の

 

元プロサーファーがいます。

 

 

 

彼女が現役時代に

 

いつも言っていた

 

言葉を思い出します。

 

 

 

「藤沢を制する者は日本を制する」

 

 

 

それ位、

 

皆のサーフィンレベルが

 

高いので、

 

その中で生まれ育って、

 

日々練習を積んでいると

 

自然と自分のレベルが

 

上がるのですね。

 

 

 

「それくらい出来て当たり前」の

 

世界なのですね。

 

 

 

また近年、

 

大阪の高校野球の

 

レベルが高いと

 

言われています。

 

 

 

それは

 

大阪桐蔭や履正社など、

 

その二校が

 

甲子園の

 

選抜大会の決勝で

 

顔を合わせるほど

 

全国レベルなんですね。

 

 

 

春も夏も

 

その激戦区大阪大会を

 

勝ち上がることは、

 

想像を絶する

 

レベルなのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

その上、

 

春の甲子園選抜大会に

 

出場するには、

 

近畿二府四県で

 

それぞれ

 

出場枠を勝ち取り、

 

近畿大会で

 

勝ち上がらねばなりません。

 

 

 

そのため

 

自然と

 

近畿の高校野球の

 

レベルが上がるのですね。

 

 

 

それも

 

天地大自然の法則の

 

一つなのでは

 

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

もちろん、

 

合氣道においては

 

入門して間もない

 

初心者が、

 

 

 

いきなり

 

人のために

 

などと

 

稽古することは

 

できません。

 

 

 

まずは

 

稽古を重ねて、

 

一つひとつ技を

 

覚えていくことです。

 

 

 

誰でも回数こなせば、

 

一つや二つの技は

 

覚えることができます。

 

 

 

頭で考えることなく

 

身体が動くように

 

なってきたら、

 

 

 

相手を上達させることを

 

念頭に置いて

 

稽古しましょう。

 

 

 

 

 

今まで

 

自分のことしか

 

頭になかった人、

 

 

 

自分の身体にしか

 

意識がなかった人を

 

 

 

心の奥深くの

 

領域にまで

 

掘り下げ、

 

 

 

心の重要さを説き、

 

 

 

日常

 

いついかなる時にも

 

 

 

心と身体を

 

同時に使う

 

習慣を養い、

 

 

 

盤石な

 

心身の土台を

 

作り上げる。

 

 

 

 

 

そして、

 

それを

 

世のため、

 

人のために

 

正しく使えるように

 

なるよう導く。

 

 

 

 

 

世の中は

 

病んでいる人、

 

悩んでいる人、

 

悲しんでいる人

 

だらけです。

 

 

 

 

 

合氣道琴心館寺崎道場の

 

門人一人ひとりが

 

 

 

自分の周囲の

 

人の

 

心に

 

ともしびを

 

灯して

 

あげられるよう、

 

 

 

人として

 

成長しましょう。

 

 

 

 

 

それが

 

合氣道琴心館寺崎道場の

 

稽古の目的の一つで

 

ありますから、

 

 

 

やりがいは

 

大きいですよ。

 

 

 

一回の稽古では、

 

到底

 

達することの

 

できないことですよ。

 

 

 

一生涯これをやる。

 

 

 

行き着くところなんて、

 

多分ないと思う。

 

 

 

だけど

 

やることは、

 

誰でも

 

できるような

 

簡単なことから

 

始めるのですよ。

 

 

 

その積み重ねです。

 

 

 

それしかないのです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-08-01 04:15:00

" 一流初級の登竜門 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう

 

 

 

『いちりゅう しょきゅう の とうりゅうもん』

 

 

 

連日の猛暑日だが、

 

つい先日は

 

風が少し強く

 

吹いていた。

 

 

 

目の前の木は

 

大きく枝葉が

 

揺れていた。

 

 

 

台風や強風で

 

枝が折れることも

 

よくあることだ。

 

 

 

なるほど

 

と思った。

 

 

 

風にあおられて

 

枝葉は騒いでいるが、

 

幹はびくとも

 

していない。

 

 

 

たとえ

 

枝葉は折れても

 

幹さえ

 

しっかりしていれば、

 

また生えてくる。

 

 

 

幹が

 

倒れてしまっては、

 

その木は

 

生き返ることもないのだ。

 

 

 

 

 

人間も全く同じだ。

 

 

 

手足を動かしても、

 

身体の本体である

 

土台さえ

 

盤石なら、

 

身体はブレない。

 

 

 

2024年

 

パリオリンピックが

 

開催されているが、

 

種目に限らず、

 

そこに出場する選手は

 

激しい動きの中でも

 

本体はブレない。

 

 

 

合氣道で

 

相手を投げるときは、

 

まず

 

自分の姿勢を確かめる。

 

 

 

自分の姿勢が

 

盤石でなければ、

 

相手を投げることは

 

出来ない。

 

 

 

 

 

何を見ても、

 

聞いても、

 

読んでも、

 

触っても、

 

飲んでも、

 

食べても、

 

呼吸をしても

 

 

 

自分の

 

生き方や仕事に

 

結び付く。

 

 

 

 

 

これが

 

一流初級の登竜門だ。

 

 

 

 

 

とんかつ食べても、

 

寄席に行っても、

 

映画を観ても、

 

染め物しても、

 

散歩していても、

 

 

 

ありとあらゆる

 

ところに

 

生き方や

 

仕事に活かす

 

ヒントがある。

 

 

 

今以上に

 

良くなりたい、

 

人として成長したい、

 

 

 

常に向上する

 

心持ちがあれば、

 

自然に見えてくるもの。

 

 

 

 

 

真剣になれば、

 

身近にいくらでも

 

先生はいるのです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝

2024-07-31 04:03:00

" 快眠 "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『かいみん』

 

 

 

 

 

一日の始まりは

 

朝目覚めたとき

 

からではない。

 

 

 

就寝時から始まるのだ。

 

 

 

一日、

 

一生懸命働けば

 

身体にアカもたまるから、

 

お風呂に入って

 

身体を洗う。

 

 

 

一日、

 

一生懸命働けば

 

身体だけでなく

 

心も汚れるから、

 

寝る前に

 

呼吸法をして

 

心もきれいに洗う。

 

 

 

翌日の

 

快い目覚めに

 

備えるのだ。

 

 

 

 

 

心配事や悲しい事、

 

腹が立つ事があれば

 

眠れない。

 

 

 

それを

 

考えている間は

 

眠れないのだ。

 

 

 

それに

 

囚われている間は

 

眠れない。

 

 

 

自分で自分を

 

眠れなくしていることに

 

氣付かねばいけない。

 

 

 

 

 

私も

 

若い頃は

 

夜眠れない日が

 

多くあった。

 

 

 

色んなことを

 

布団に入って

 

考えるから

 

眠れない。

 

 

 

ただ

 

若い頃は

 

体力もあるので、

 

少々眠れなくても

 

どうってことなかったが、

 

四十、五十を超えると

 

身体にこたえてくる。

 

 

 

 

 

私の場合は

 

五十歳で

 

合氣道を習い始め、

 

 

 

瞬時に

 

心を切り替えることを

 

学び、

 

 

 

日々いかなる時にも

 

これを実践した。

 

 

 

それが

 

身に付いてからは

 

布団に入ったら

 

呼吸法をしながら

 

寝てしまっている。

 

 

 

五分もあれば

 

眠ることができる。

 

 

 

布団には

 

寝るために入るのだ。

 

 

 

考え事をするために

 

布団に入るのではない。

 

 

 

 

 

「寝るなら寝なさいよ」

 

ということだ。

 

 

 

 

 

それと

 

眠る時に

 

大事なことは、

 

 

 

何もかも

 

手放すことだ。

 

 

 

何もかも

 

空にする。

 

 

 

自分の

 

知恵も

 

はからいも

 

 

 

完全に

 

空けてしまったら、

 

 

 

天地大自然が

 

抱きかかえてくれるのだ。

 

 

 

 

 

天地大自然に

 

完全に身を委ねたら、

 

 

 

心地よい快眠が

 

できる資格を

 

天地大自然から

 

与えられたことになる。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝