2024-12-09 04:33:00

" 重荷を負うて遠き道を行くが如し "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

『おもに を おうて とおき みち を ゆく が   ごとし』

 

 

昨日、12月8日の

指導者育成、錬成

集中稽古の座学から。

 

 

" 人の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し "

 

徳川家康の遺訓だ。

 

人の一生というものは、

重い荷を背負って

遠い道を行くようなものだ。

 

人生は苦しい時もある。

その苦しさが長い時もある。

 

 

しかし、

苦しさも不自由さも、

それが当たり前であると

考えれば、

 

不満は生じない。

 

辛抱強く努力を重ねながら、

急ぐことなく

着実に前に進むべきである。

 

心に欲や不満が

起きたときには、

 

苦しかった時を思い出し、

 

 

" 私の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し "

 

 

この言葉を

自身の銘にして、

 

深く心にしるして

忘れないように。

 

 

以上が

昨日、12月8日の

指導者育成、錬成

集中稽古の座学で

7名の指導者に

私の魂から

語った内容の一部だ。

 

 

指導者は

お弟子さんが

間違った方向に

行かないよう、

常に注意深く正しい方向に

導かねばいけない。

 

 

そのためには

まず指導者自ら、

天地大自然の大道を

歩まねばいけない。

 

 

" 弟子の成長はいささかなり "

 

 

決して焦ることなく

弟子が自ら氣付くまで

ゆっくりと待ってあげる。

 

 

合氣道寺崎道場の目的は

" 日本人としてどう生きるのか "

 

世のため人のためになる

人材を育成することである。

 

 

お弟子さん一人ひとりの

" 行く末の人生 "

という重荷を

各指導者は背負っている。

 

 

また、

弟子というのは

おおよそ

" 親泣かせ " のようなもの。

 

 

" 親孝行 " の弟子など

千人に一人くらいの

ものであると認識せよ。

 

 

弟子のほとんどは

自分本位である。

 

 

" 世のため人のため "だと

口では言っていても

中々、実行が伴わない。

 

 

「まぁ、そんなものだ」

 

 

それが当たり前だと

思えば、

大したことではない。

 

 

氣付くまで

ゆっくり待ってあげる。

 

 

毎日がその連続だ。

毎日が忍耐だ。

 

 

指導者自らは

" 世のため人のため "

それを絶対に怠るな。

 

 

指導者自らは

それを率先してやる。

 

 

それを毎日、

自らの心の鍛錬とする。

 

 

天地大自然は

必ず見てくれている。

 

 

だからこそ、

指導者は弟子より

心が圧倒的に強くなれるのだ。

 

 

比べものにならない程、

" 圧倒的に強い心だ "

 

 

弟子は

それに追いつくことは

できない。

 

 

ただ、

千人に一人の

崇高な弟子は

それに氣が付き、

指導者に追いつき、

追い越すことができる。

 

 

その追い越す弟子を

育成したら、

自分の役目は終了する。 

 

 

我が人生の

重荷を負うた遠き道は

目的地に到着するのだ。

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝