" 重荷を負うて遠き道を行くが如し "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おもに を おうて とおき みち を ゆく が ごとし』
昨日、12月8日の
指導者育成、錬成
集中稽古の座学から。
" 人の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し "
徳川家康の遺訓だ。
人の一生というものは、
重い荷を背負って
遠い道を行くようなものだ。
人生は苦しい時もある。
その苦しさが長い時もある。
しかし、
苦しさも不自由さも、
それが当たり前であると
考えれば、
不満は生じない。
辛抱強く努力を重ねながら、
急ぐことなく
着実に前に進むべきである。
心に欲や不満が
起きたときには、
苦しかった時を思い出し、
" 私の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し "
この言葉を
自身の銘にして、
深く心にしるして
忘れないように。
以上が
昨日、12月8日の
指導者育成、錬成
集中稽古の座学で
7名の指導者に
私の魂から
語った内容の一部だ。
指導者は
お弟子さんが
間違った方向に
行かないよう、
常に注意深く正しい方向に
導かねばいけない。
そのためには
まず指導者自ら、
天地大自然の大道を
歩まねばいけない。
" 弟子の成長はいささかなり "
決して焦ることなく
弟子が自ら氣付くまで
ゆっくりと待ってあげる。
合氣道寺崎道場の目的は
" 日本人としてどう生きるのか "
世のため人のためになる
人材を育成することである。
お弟子さん一人ひとりの
" 行く末の人生 "
という重荷を
各指導者は背負っている。
また、
弟子というのは
おおよそ
" 親泣かせ " のようなもの。
" 親孝行 " の弟子など
千人に一人くらいの
ものであると認識せよ。
弟子のほとんどは
自分本位である。
" 世のため人のため "だと
口では言っていても
中々、実行が伴わない。
「まぁ、そんなものだ」
それが当たり前だと
思えば、
大したことではない。
氣付くまで
ゆっくり待ってあげる。
毎日がその連続だ。
毎日が忍耐だ。
指導者自らは
" 世のため人のため "
それを絶対に怠るな。
指導者自らは
それを率先してやる。
それを毎日、
自らの心の鍛錬とする。
天地大自然は
必ず見てくれている。
だからこそ、
指導者は弟子より
心が圧倒的に強くなれるのだ。
比べものにならない程、
" 圧倒的に強い心だ "
弟子は
それに追いつくことは
できない。
ただ、
千人に一人の
崇高な弟子は
それに氣が付き、
指導者に追いつき、
追い越すことができる。
その追い越す弟子を
育成したら、
自分の役目は終了する。
我が人生の
重荷を負うた遠き道は
目的地に到着するのだ。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝