" 異なる分野から氣を学べ "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『ことなる ぶんや から き を まな べ』
偶数月の第2火曜日は
近くのお寺で
寄席が開催されている。
前売り券を購入すれば、
とても安価で、氣軽に
落語を楽しむことができる。
今週から始まった
12月恒例の
指導者育成、錬成
集中稽古に参加している
お弟子さんを連れて、
昨日の午前稽古が終わり
夜間稽古までの間、
その寄席を聞きに行った。
ただ落語を楽しむだけに
行くのではない。
これも大切な稽古の一環だ。
噺家の一挙手一投足を
よく見聞きして学ぶ。
開口一番より
実力のある真打の
それがどう違うのか。
目線、上半身の向き、
指先の使い方、
顔の表情。
そして、
その噺家の氣を学ぶ。
もう一つ重要なことがある。
それは" マクラ " と呼ばれる
落語の冒頭で、
世間話や本題と関連する
小咄 (こばなし) を話す部分だ。
観客に自然と落語の世界に
入ってもらう役割を
果たす " マクラ " 、
それが本当に絶妙なのだ。
そして、
噺家が羽織を脱ぐことで、
" 本題 " に入っていく。
マクラから本題、オチまで
一連の噺 (はなし) には
一切の切れ目がないのだ。
それが
特に実力のある真打
にもなれば、
聞いていて
惚れ惚れする。
それはもう芸術だ。
かなり前のエントリーでも
書いたことがあると思うが、
合氣道師範と
落語家、噺家といのは
分野は違えど
" 氣 " は同じだ。
その役になりきる氣。
その役を演じきる氣。
道場で人前に立って
お弟子さんに教える氣。
全てを出しきる氣。
捧げきる氣。
合氣道師範、指導者も
何も喋らず、
技だけを教えていては
ダメだと私は思う。
話すこと。
お弟子さんに
目と耳と口から
学んでもらうこと。
でも、
それだけではいけない。
身体を通じて
学んでもらうこと。
そして、
最重要課題が
心のあり方、使い方、
心の置きどころだ。
その全てを
合氣道とは異なる分野、
落語から学ぶことも
非常に大切なことである。
東京、神奈川から参加した
指導者とそれを目指す
お弟子さんにとっては
とても良い
学びになったと思う。
関西言葉や、
独特の言い回しを
理解するのに
少々、苦労したようだが。
" もうほんま、よういわんわ "
" おでんに、よぉ出汁がしゅんどるわ "
" よういわんわ "
「これって言えないってことですか?」
いや違うわ…
" よぉしゅんどるわ "
「これって日本語なんですか?」
昔からある
れっきとした日本語や…
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝