今日の一言 2025-10-31 (金) ~ 2025-11-03 (月)
道場長の一日一心 " 「共に生きよう。」 胸を打たれたアシタカの不動心に学ぶ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】次候
七十二候
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)
10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。
小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 " とも に いき よ う " むね を うたれ た アシタカ の ふどうしん に まな ぶ 』
『もののけ姫』
4Kデジタルリマスターが
期間限定でIMAX上映されています。
いまさらながら、
私はこれまで『もののけ姫』を
じっくり観たことがありませんでした。
次女から
「お父さんにちゃんと観てほしい」
そう誘われ、
昨日10月30日(金)、
『もののけ姫』IMAX上映を鑑賞しました。
私にとって人生初のIMAX体験です。
IMAXの圧倒的な音響と映像は、
森の神々や
巨大な動物たちの
息づかいを肌で感じさせ、
私を
深く作品の世界へと引き込みました。
『もののけ姫』は、
単なるファンタジーや
環境保護の物語ではなく、
私たち人間に突きつけられた
根源的な問いであり、
「生きる」ことの
全容を描き出した作品ですね。
"『もののけ姫』が私たちに訴えかけた、人間と世界の根源的な真実 "
次女とのIMAX鑑賞体験を経て、
私は『もののけ姫』という映画が
私たちに
何を訴えようとしたのかを、
深く考え直しました。
この映画は、
私たちに二つの根源的な真実を
訴えかけているように思います。
一つ、
「憎しみ」の連鎖と、「共に生きる」道の困難さ
『もののけ姫』の物語は、
森の神々、人間、動物たちが、
それぞれの「生きる」ための
正義やエゴをぶつけ合った結果、
「憎しみ」と「呪い」が
連鎖していく様を描いています。
人間は、
より豊かな生活、病者の救済、
差別からの解放という
「生きる」ための前進のために、
森を破壊する。
森の神々・動物は、
人間の勝手な欲望に対し、
自らの「生」と
「居場所」を守るため、
激しい怒りと憎しみをぶつける。
この対立は、
どちらかが一方的に
「悪」ではないのですね。
どちらも
「生きたい」という
本能的な
欲求のために戦っているのです。
この映画が訴えるのは、
「どちらが正しいか」という
簡単な答えではなく、
「どうして人は争うのか」
「どうして憎しみは連鎖するのか」
という、
人類が文明を持つ
以前から抱える
根本的な
問いかけではないでしょうか。
そして、
この憎しみの連鎖を断ち切るには、
アシタカが示したような
「曇りなき眼」で、
相手の「生の尊厳」を認めるという、
困難な道しか
ないことを訴えかけているのですね。
二つ、
「生と死」は一体であり、
世界はつながっているという真実
この映画が
私たちに最も強く
訴えかけるテーマは、
「生と死の捉え直し」であると
私は感じました。
人間は、
自らの「死」を恐れ、
呪いを避け、
少しでも長く、
豊かに「生きたい」と願います。
しかし、
タタリ神の呪いも、
シシ神の圧倒的な生命力も、
※(この部分はネタバレになるので、削除しました。)
私たちに次のように語りかけます。
「生」の裏には必ず「死」がある。
「死」は終わりではなく、
次の「生」を生み出す糧となる。
土に還り、命を育む。
天地大自然とは、
すべての命が絶えず生まれ、
死に、
循環しあう巨大な生命体である。
アシタカがサンに語る
「シシ神さまは死にはしないよ。生命そのものだから。生と死とふたつとも持っているもの」
という言葉は、
まさに合氣道が目指す
「天地と一体になる」、
つまり
「万物愛護」「万物育成」に通じる、
壮大な死生観なのですね。
『もののけ姫』は、
「人間は、自然や動物とは切り離された、特別な存在ではない」
という真実を、
凄まじい大迫力をもって
私たちに突きつけます。
そして、
この「繋がっている世界」の中で、
私たちは
「憎しみに身を委ねるな」
「共存の道を考え、それぞれの場所で生きろ」
というメッセージを受け取るのですね。
私たちが
『もののけ姫』を観て、
遠いファンタジーだと
感じる一方で、
現実社会では、
アシタカたちが直面したような
「人間と獣の避けがたい対立」が、
今、深刻な形で起こっています。
特に今年は、
北海道や東北地方で、
クマが人間を襲う被害が
多発するという
痛ましい問題が
連日報道されています。
獣側の論理としては、
かつて森だった場所が
人間の生活圏となり、
餌場を失った熊が、
人間の世界に
踏み込まざるを得なくなっている。
そして、
ここに来れば
食べ物があるということを学んだ。
これは、
森を奪われた獣たちの
ある意味
「生きるための怒り」の表れとも
捉えられるのではないでしょうか。
人間側の論理としては、
命を守るため、
生活を守るため、
危険な個体を駆除せざるを得ない。
これは、
エボシ御前たちが
生存のために森を切り開いた
「やむを得ない業」と
同じ苦悩かもしれませんね。
映画で描かれた対立は、
まさしく現代の日本で起きている、
「共存の問題」を
示していると言えます。
『もののけ姫』が
私たちに訴えかけたのは、
「共存は美しい理想郷ではない」という
厳然たる真実です。
共存とは、
安易な「仲良しごっこ」ではなく、
互いの存在と、
それに伴う危険を認め合い、
互いの存在を尊重する。
「万物の霊長」として
生まれた人間にはその能力がある。
痛みと苦悩の中で、
それでも
「共に生きる道」を
探し続けるという、
血の滲むような
覚悟を必要とすることなのです。
合氣道でいう「和合」とは、
単に調和するだけでなく、
対立する力を
すべて受け入れる
「器」を持つことなのです。
この映画は、
私たち現代社会を生きる
すべての人に、
自らの「生」と、
周囲のすべての
命との関係性を問い直し、
真の「共存の道」とは
何かを考えさせる、
決して簡単な道ではない、
不朽の問いかけなのですね。
「どうやった?お父さん」
「観て良かったやろ?」
次女からの問いかけに
「観て良かった。ありがとう!」
と素直に答えました。
「お父さんにちゃんと観てほしいねん」
この誘いがなければ、
もしかしたら、
この先も
観ることはなかったかもしれませぬ。
また、
ポップコーンが
こんなにも美味かったのかと思いました。
ワッハッハ。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝