"人の後ろ姿が本心だ"
あらゆる場所でも、
あらゆる時であっても
人は
入ってくる時は、
好印象を相手に与えようとする、
いわゆる別の自分を作り上げる、
よそ行きである。
反対に、
出ていく後ろ姿に、
本心
いわゆる
本当の自分が表れる。
私の主宰する道場において、
入会時は誰でも
「一生懸命やります」と
決まって
よそ行き顔だ。
しかし、
訳あって
退会するような時には、
捨てセリフを吐いたりして
本音を出す。
自身が指導する
教室を持っているにも
関わらず、
後始末さえ出来ずに
辞めていく者など、
様々だ。
口では
一人前の事を言っても、
それが
その人の本心であり、
なんとも
情けなく
弱い心の持ち主だ。
人は出ていく後ろ姿に、
その人の本当の本心と
人格が表れる。
その後ろ姿こそが
その人の普段の様子なのだ。
道場長 拝
"ことばはスズメではない。行ってしまったら、もう二度とつかまえられない"
「ことばはスズメではない。行ってしまったら、もう二度とつかまえられない」
ロシアのことわざである。
ひとたび
口から
出てしまった言葉は、
どんなことをしても
取り消すことは
出来ない。
相手を傷つける
内容であれば、
円滑な
人間関係を
損なう
きっかけになる
危険性は充分にある。
でも、
相手を喜ばせる
内容であったら
どうだろうか。
誰でも
自分にとって
都合のよい、
嬉しい話は
無条件で
信じてしまうだろう。
嬉しい話を聞いて、
それがいつ
実現されるのかと、
わくわく
期待している人を、
故意ではなくとも、
結果的に
裏切るような
言動があったら
どうだろうか。
裏切られた者は、
傷つき、
不信感が
心に芽生え
育ってゆく。
それを何度も
繰り返されると
その人は
そのような
人なんだ
という
想いが
深く
潜在意識に
刻み込まれる。
やがて
その人の
信用は
地に落ちる
こととなる。
道場長 拝
"吹く風に 沖辺の波の高けれど 心静けき 我港かな"
" ふくかぜに おきべの なみの
たかけれど こころ しずけき
わが みなと かな "
これ迄の
幸福があるのは
神の御恵(みめぐみ)と
祖先の守護に
よるものなので
安心せず
自分も
人を慈(いつく)しみ
世の為めに
尽せば
いよいよ
運盛(うんさかん)に
他所(よそ)は
嵐吹きても
自分の所に
何事もなく
幸(さいわい)多し
忘れなきよう
今を生きよう
道場長 拝
"一人でも多くの命が救われますようお祈りしています"
令和6年能登半島地震、
そして
日航機と
海上保安庁の航空機の
羽田空港火災と
元旦、二日に
立て続けに
起こった
天災と事故で
被災された方々、
お亡くなりになられた方々と
そのご家族のことを
思うと
「あけましておめでとうございます」
という氣になれません。
令和6年
能登半島地震に伴う
災害に被災された
方々とそのご家族、
また
被災地救済
という
尊い任務のなかで
犠牲になられた
海上保安官の
御霊に
哀悼の意を表し、
日航機、
海保機で
事故に遭われた
方々と
ご関係者に、
心より
お見舞い申し上げます。
被災地救済においては、
一人でも
多くの命が
救われますよう
お祈りしています。
崩れた家屋の
瓦礫を剥がすのは
自衛隊以外に
出来ません。
自衛隊員の皆様、
レスキュー隊員の皆様
ありがとうございます🎌
" 不要なものは手放しましょう "
合氣道の稽古は
日々、
自分を包んでいる
不要な
薄皮を
一枚一枚
剥がすようなものだ。
自分の
心にある
不要な物を
断ち、
捨て、
物や人への
執着を
なくしてしまおう。
年末の
大掃除で
不要なものと
一緒に
自分の中の
不要なものも
捨て去り、
心機一転、
新年を迎えましょう。
人の落ち度も
許すより
忘れてしまおう。
どんなに
礼と仁を
尽くして、
人の心に
寄り添っても、
その人に
受け入れる
心が
無ければ
何ら届かず。
怒りや
心配など
不要だ。
そういう時は、
その方との
出会いで
得られた
大切なものを
明々白々に
思い出し、
温かな
氣持ちを
抱きしめて、
「今までありがとう」と
感謝し、
その方を
そっと
手放しましょう。
紅葉を終えた
葉っぱが
ひらひらと
落ちる
天地のリズムのように、
その方との
ご縁も
手放してしまおう。
不要な物を
断ち、
捨て、
執着も
手放して
初めて
身も
心も
軽くなる。
心身を自由に
使える
状態で
新年を
迎えることが
出来るよう
準備をしよう。
道場長 拝