" 読書週間に寄せて。「お愛想」の誤用から紐解く、先人たちの温かな思いやり "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は二十四節氣
霜降【そうこう】末候
七十二候
第五十四候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)
十一月二日~六日ごろ。
モミジやツタの葉が色づき始めるころ。
今日の言の葉
『見えている形の奥にこそ、本当の理(ことわり)がある』
先日、娘と食事に出かけた折、
別の席で食事を終えた客が
「お愛想して」と声をかけておられました。
どこか場慣れした
粋な響きにも聞こえますが…
さて、今月9日までは
「読書週間」でございますね。
これにちなみまして、
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』におきましても、
美しい日本語や大和言葉の奥深さ、
さらに、言葉の誤用などについて綴った
記事を執筆しております。
本日は、
この「お愛想」という言葉の
意外な成り立ちについて、
少し紐解いてみたいと思います。
そもそも「愛想」という言葉は、
人に接する際のにこやかな態度や
温かな言葉遣いなどを指しますね。
日常の会話におきましても
「あの方は、とても愛想が良い」ですとか、
「少し愛想が悪い」などと、
よく使われる言葉でございます。
ところが、
これに「お」を添えて「お愛想」となると、
飲食店などで、
なぜか「お会計(お勘定)」という
意味合いに変わってしまうのですね。
実はこの「お愛想」という言葉を
客側が口にするのは誤用なのです。
本来この言葉は、
店側が客にへりくだって使う隠語でした。
楽しくお食事をされているお客様に対し、
お金の話を持ち出すのは、
なんとも不躾なこと。
「このような無粋なことを申し上げては、
愛想を尽かされてしまいますが」という、
店側の細やかな配慮と
遠慮から生まれた言葉なのです。
ゆえに、客のほうから
「お愛想」と言ってしまいますと、
「この店には愛想が尽きたから、勘定してくれ」という、
全く逆の冷たい
意味合いになってしまうのですね。
この言葉の
生い立ちを知りますと、
先人たちの相手を思いやる
深い配慮に驚かされますね。
それと同時に、
言葉の表面的な響きだけを
真似てしまうことの
危うさにも氣づかされます。
これは、私たちの
日々の合氣道の稽古におきましても
まったく同じでございます。
道場において、
師の動きの「形」だけを
表面上でなぞろうとしても、
決して、
真の理合い(本質)には辿り着けません。
なぜ、その足運びになるのか?
どのようにして、
相手と結びついているのか?
目には見えない
技の奥にある「氣」を理解して初めて、
相手とぶつからない、
合氣道特有の自然な
和合の動きが生まれるのでございます。
日常の言葉遣いも、道場での稽古も
常に見えている形の奥にある
本質を感じ取れる人でありたいものです。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
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合氣道琴心館寺崎道場は
単に技だけを教わる場ではございませぬ。
私たちが大切にしているのは
表面的な形にとらわれず、
日々の生活に活きる
奥底にある真意を汲み取る
豊かな感性を養うことでございます。
自ら率先躬行して、
物事の本質を深く学び、
周囲の人々の心にも
そっと灯火を灯すような生き方を
皆様とともに探究していくことでございます。
日常のふとした氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝