" 仕事とは「事に仕える」こと。目の前の一人と魂を磨き合う日々 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大雪【たいせつ】末候
七十二候
第六十三候 鱖魚群 (さけのうおむらがる)
12月16日~20日ごろ。
鮭が川を遡上するために群れをなすころ。
海で大きく育った鮭は産卵のため、
ふるさとの川へ帰っていきます。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 しごと とは「こと に つかえ る」こと。め の まえ の ひとり と またしい を みが き あ う ひび 』
「最近はどうですか? 道場に新しい人は増えましたか?」
時折、
周りの人から
そんな声をかけられることがあります。
私の答えは、
いつも決まってこうです。
「いいえ、増えていませんよ」
すると
相手は心配そうに、
「増やす努力をしなければ、人は増えませんよ」と
アドバイスをくださいます。
確かに、
道場運営という側面で見れば、
退会される方がいる一方で、
新しい入門者がいなければ
成り立たなくなるのは事実です。
経営という
視点は無視できませんし、
その側面だけを見れば、
新規の入門者を追うのは正解かもしれません。
しかし、
「数を増やすこと」だけが、
私の「仕事」
なのだろうかと、
この問いかけに
いつも疑問に思っています。
また、
そういう問いかけをなさる人の
その心が
その言葉に反映しているのではないかと、
思うのです。
私は「仕事」というものの
定義を少し違う場所に置いています。
それは、
"「報酬」は仕事の結果であり、目的ではない "
という定義です。
一般的に仕事といえば、
給料、売り上げ、労働、
対価、報酬といった言葉が並びます。
「これだけ動いたから、これだけの金銭をもらう」という
交換条件のような定義です。
"「仕事」の文字に込められた意味 "
たとえば、
営業職であれば
「売上を上げろ」と鼓舞されます。
数字が出なければ
評価されない。
それが社会の厳しさかもしれません。
しかし、
「仕事」という字は
「事に仕える」と書きます。
それは、
単なる労働の切り売りではないのです。
世のため、
人のために己の命を使い、
その「使命」に仕えること。
この「事」とは、
単なる作業や数字ではありません。
世の中のため、
人のために
役立つという「使命」であり、
お客様や、
目の前の人の心に深く寄りうこと。
そのプロセスそのものが
「仕事の本質」なのだと私は考えています。
" 合氣道師範としての「仕える事」"
私は
合氣道琴心館寺崎道場を主宰する
道場長であり、
寺崎道場 合氣道師範として
「仕えるべき事」は、
合氣道という道を通じて、
縁あって入門してくれた
お弟子さんたちの人生に資することです。
師範として
お弟子さんと向き合うとき、
私は単に
「技」を教えているのではありません。
その人の心の震えを感じること:
稽古を通じて、
その日の迷いや力み、
あるいは成長の兆しを掴み取ります。
「今」この瞬間に全力を注ぐ:
今、目の前で汗を流している
一人ひとりの「心」が
どこにあるのかを見つめます。
共に歩む覚悟:
長く続けてくれるお弟子さんは、
単なる「門人」ではなく、
共に道を歩むパートナーです。
彼らの変化に寄り添い、
共に魂を磨き合う。
新しい人を増やすための
広告や宣伝に躍起になるよりも、
今、こうして縁あって
道場に足を運んでくれている
お弟子さん一人ひとりと向き合うこと。
長く続けてくれている
彼らの心に寄り添い、共に稽古に励むこと。
その「事」に
誠実に仕えることが、
道場長としての私の務めです。
それが私の「仕事」です。
売上や数字を追いかける
「作業」に追われてしまうと、
一番大切な
「人の心」がこぼれ落ちてしまいます。
数字は結果であって、
目的ではありません。
目の前の一人に、
どれだけ深い価値を届けられるか。
たとえ数は増えなくとも、
今いるお弟子さんたちが
「ここに来て良かった」と、
清々しい心で
稽古を終え、道場を後にできること。
その一事(いちじ)に誠実に仕え続けること。
「最近、人は増えましたか?」
その問いに、
私は今日も自信を持って答えたいと思います。
「ええ、今いる方々と、最高の稽古ができています」と。
本日も、
目の前の一心に仕える稽古を。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝