" やってみなければ分からないだろ "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『やって みなければ わから ない だろ』
何事においても、
まずはやってみる。
そして、
とことん徹底的に
やってみた結果、
できたとか、
できなかった
ということになるはずだ。
できるか、
できないか、
やれるか、
やれないかは、
生涯を賭けて
やってみなければ
分かるものではないのだ。
従って、
できるか、
できないか、
やれるか、
やれないかは、
一生の最後に至って、
初めて分かることなのだ。
それがどうだ。
未だ一歩も
踏み出さないうちから、
「自分にはとても無理だ、できない」
などと言って、
仕事がどうのこうの、
時間がどうのこうの、
体調がどうのこうの、
口から出る言葉は
言い訳ばかりで、
投げ出すに至っては、
実に意気地のない
限りではないのか。
他の誰でもなく、
自分の口から出た
言葉に対して、
恥ずかしくないか。
また、
このような態度は、
天地大自然から
与えられた、
この生命の尊さに
氣付かない
愚か者の言葉であるのだ。
それはある意味、
世話になった人に
感謝することもなく、
その恩を
踏みにじるような人を
意味する表現である
「忘恩の徒」とさえ
言えるのだ。
師にも
天地大自然にも
感謝出来ない人だ。
いや、
"身体は生きているが心は死んでいる、成長出来ない人"
このようにも表現できる。
このことから、
このような人は
人であり、
人間ではないのだ。
心がないのだから。
でも
人間は
それとは違う、
心があるから、
無限大に成長出来るのだ。
合氣道という
同じ道を
共に歩む者なら、
成長出来る人間と
生涯、歩み続けたいものだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝