" 守りたくても守れない "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『まもり たくても まもれ ない』
私達の身体は
生まれる前から
出来上がっている。
まだ生まれる前、
まだ人間になる前から、
お母さんの胎内で10ヶ月
すでに身体は
組み立てられている。
見るために眼と、
聞くために耳と、
食べるために口と舌と、
呼吸するために鼻と、
働くために手と足と、
内蔵も出来上がっていた。
こちらから
「お願いいたします」
などと
頼んでもないのに。
願ってもないのに、
祈ってもないのに、
考えもしないのに、
生まれてから
必要なものは
全て揃っていた。
生きてる間中、
心臓は動き続け、
血液は循環する。
一瞬たりとも止まらない。
今更
そのような当たり前の
話をしてどうするんだ。
そう思われるかも知れない。
しかし、
そのことを考えてみる。
その当たり前のことに
真理があるからだ。
私達人間の
生みの親は
天地大自然である
ということだ。
「この子は私達の子」であると
両親が言っても、
その両親が
手も足も口も耳も眼も
内蔵も作ってあげたのではない。
勝手に備わったのだ。
そうであるなら、
私達人間は皆、
天地大自然に
生命を守られて産まれ、
今も生きていることが
自覚できる。
従って、
「我が身は守る必要はない」のだ。
自分で自分のことを
守りたくても
守れないのだ。
なせなら、
その必要がないからだ。
その真理を
分かろうともせず、
自分のことを
守ろうとするから、
心身が弱くなるのだ。
守れば守るほどに
弱くなるのだ。
それを「無理」というのだ。
理に適っていない
ということである。
従って、
天地大自然の
大恩に感謝して、
これに報いる道は
自分にできることを
精一杯やる。
命の限りやり尽くす。
他者のために
持てる知恵と力を
しぼりきる。
出し惜しみするな。
あっという間の人生だ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝