2024-03-15 06:45:00

" 人の話を聴くとは、自分の器の大きさだ "

人は心の状態が身体に現れる。

 

 

 

二人の人に苦言を呈した。

 

 

 

言われる側は耳が痛いが、

 

その人のためになる忠告である。

 

 

 

 

 

一人は「はい」と返事はするが、

 

聴きながら目と顔は

 

他所を見ている。

 

 

 

もう一人は

 

「はい、ありがとうございます」

 

真っ直ぐに相手の目を見て返事する。

 

 

 

 

 

これが人としての器の違いだ。

 

 

 

 

 

前者は自分の過ちを

 

認めることが出来ない、

 

認めようとはしないから、

 

心からの反省や感謝は殆どない。

 

従って、

 

また同じ過ちを必ず繰り返す。

 

 

 

 

 

後者はまず

 

心から相手に感謝する。

 

その過ち足らずを反省し、

 

それを自ら受け入れ

 

次に繋げて前に進もうとする。

 

 

 

 

 

心は器そのものである。

 

 

 

 

 

あなたは前者ですか。

 

それとも後者ですか。

 

 

 

 

 

どちらを選ぶも

 

あなたの自由です。

 

 

 

 

 

人は自分の器を

 

自分でいくらでも

 

大きくも小さくも出来る。

 

 

 

自分次第ということだ。

 

 

 

 

 

しかし

 

忘れてならないことがある。

 

 

 

それは、

 

他所を見て

 

不貞腐れる人は

 

人として絶対に大成しない。

 

 

 

 

 

これが古今洋の東西問わず

 

天の配剤でありまする。

 

 

 

 

 

 

 

道場長 拝