人は必ず育ちます
合氣道琴心館寺崎道場 道場長の寺崎 秀行です。
まず最初に一般に合氣道といっても、たくさんの流派、団体があり、それぞれ目的や稽古法、心身の使い方など異なります。
ここに記す内容は、「合氣道琴心館寺崎道場」に基づくものであります。
昨日は淡路市東浦サンパーク柔道場(正式には淡路市東浦P&G海洋センター2階トレーニングルーム内柔道場)にて全身全霊で語り、語り、身体を動かし、お弟子さんとお稽古してきました。
教える立場の指導者、師範、先生と呼ばれる立場の人は常に相手(お弟子さん)の立場に立って指導しなければなりません。
子どもには子どもなりの、親子には親子なりの、初心者には初心者なりの、上級者には上級者なりの、指導者育成にはそれなりの、それぞれの稽古の仕方があります。
例えば、上級者でも指導者を目指す者と、そうでない者とでは指導方法も内容も違います。
人を教える立場の指導者は道場での稽古において、工夫をしなければなりません。
いくら自身が内弟子修行を積んでいても、それをそのまま上級者だから指導者育成と同じ稽古しか出来ない師範がいたとしたら、それは師範の稽古への工夫の無さであり、怠慢としか言いようがありませぬ。
植芝盛平翁が創始なさった日本の武道である合氣道も、今やたくさんの流派があり、派生し、団体が違えば、技も目的も違います。
同じ流派であっても先生、指導者、師範により違います。
極まれな武道愛好家や、研究熱心な人は例外ですが、ほとんどの一般の人が近くの道場や教室で合氣道を始めるにあたって、その会や団体が「どのような目的を持つ合氣道」なのか?など知らずに入門してきます。
「どのような目的を持つ合氣道」なのか?
それは非常に重要な事です。
入門した人には、まず、最初にそれをしっかり教えなければなりません。
最初が肝心要でございます。
入門して5年以上のベテランが未だ、その意味が分からない。
だから本当の意味での上達ができない。
技ができるから上達ではありませぬ!
私達の所属している団体では、「力を抜くこと」を稽古します。
でも何故、力を抜かなければならないのでしょうか?
その意味をお弟子さんが良く理解できるまで、言葉で教えなければなりませぬ。
難しい言葉で教えることは簡単であり、誰にでもできます。
それを簡単に分かりやすい言葉で、教える努力をしなければなりません。
そして、言葉だけでは理解できない領域は正しい姿勢の確認と、身体を動かし、組技、体術で指導しなければなりません。
自分は話すのが苦手だから、言葉で教えることができない指導者は勉強と努力が不足しています。
もっと言うなら指導者失格!
言葉を発することができる人なら、誰でもできる事だと私は思います。
人は必ず育ちます!
当会が何の目的を持って稽古している合氣道なのか?
今日もそれを全身全霊で語り、語り、語ってまいりました。
その人が深く理解できるまで、根氣良く続けなければなりませぬ。
お弟子さんは師範に沿って成長します。
師範はお弟子さんを教えることで成長します。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。