2026-05-22 03:15:00

" 【圓光寺の静寂】 心の目で見る侘び寂び。枯山水に感性を磨く指導の道 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

小満【しょうまん】初候

 

七十二候

第二十二候  蚕起食桑【かいこおきてくわをはむ】

5月21日~25日ごろ。

孵化した蚕が桑の葉を盛んに食べて成長するころ。

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 "

『 ​【えんこうじ の せいじゃく】 こころ の め で みる わび さび。かれさんすい に かんせい を みがく しどう の みち 』

 

 

 

 

昨日の続きとなります。

※一つ前のエントリーはコチラ

 

 

 

春の指導者育成練成稽古。

 

17日間に渡る

集中稽古の締めくくりの京都での2日間。

 

 

 

その中でひときわ

心打たれた時間がありました。

 

 

 

圓光寺 (えんこうじ) や

曼殊院門跡 (まんしゅいんもんぜき) で、

 

静かに向き合った

枯山水 (かれさんすい) 庭園です。

 

 

 

 

​水を使わず、

石や砂だけで

大自然の山水を表現する。

 

 

一見すれば、

ただの白砂と岩の配置に過ぎません。

 

 

 

しかし、

その限られた空間に

広大な海や川のうねりを見る。

 

 

波の音さえも聴き取る。

 

 

 

海や物体を

すべて砂で表現する

この空間を見て、どう感じるか。

 

 

 

目に見えないものを、

想像力を限界まで

働かせて感じ取るのです。

 

 

 

そこには

削ぎ落とされた、

 

日本古来の

西洋にはない

 

日本人が持つ

独特の美意識である

侘び寂び (わびさび) の精神が

宿っております。

 

 

 

 

不完全さや質素さ、

無常や欠落、

 

時の経過による

老いや風化、

 

変化の中にこそ

美しさを見出す、日本独自の感性。

 

 

日本人には

この精神性があるからこそ、

心が無限に広がるのです。

 

 

 

この感性を

極限まで研ぎ澄ますこと。

 

 

 

それは合氣道において、

非常に重要な意味を持ちます。

 

 

 

たとえば、

他の人の技を見る時も、

全く同じことが言えるからです。

 

 

表面的な手の動きや、

足運びの形だけを見る人。

 

 

一方で、

その内側に隠れた

深い呼吸や、氣の流れ、

相手との結びを見ている人。

 

 

 

両者では、

技に対する理解の深淵さが

まるで違ってまいります。

 

 

 

 

技の形だけを見て

それをなぞることしかできない人は、

 

いつまで経っても

技の深淵にはたどり着けません。

 

はっきり申して、

上達はしないということなのです。

 

 

 

 

" 見えないものを観る力 "

 

 

 

 

特に私たち指導者には、

その深みが強く求められるのです。

 

 

 

 

圓光寺の

枯山水庭園を前にして、

 

合氣道寺崎道場の

東京、神奈川の

全道場と教室をまとめる

 

〈中島 小雪〉師範部長が

深く頷きながら口にしました。

 

 

 

「先生、枯山水は合氣道の理合いそのものですね」

 

 

「目に見える砂や石の奥に、広大な海を感じるように」

 

 

「私たちも目に見える技の形の奥にある、氣の流れを感じ取らねばなりません」

 

 

「頭を空っぽにして自然と和合した時、初めて見えないものが見えてきますね」

 

 

 

 

この日本女子のその言葉は、

まさに指導者として

一段階深く悟った証でありました。

 

 

 

 

今回の春の指導者育成練成稽古。

 

 

 

その最終の二日間を、

京都で締めくくりたいと

意向を示したのは彼女でした。

 

 

 

この一乗寺エリアを巡るのも、

彼女からの提案です。

 

 

 

 

きっと彼女自身が、

指導者としての

新たな引き出しを見つけるために、

ここを選んだのでしょう。

 

 

 

師範部長である

彼女にとっては、

 

私以外の参加者は皆、

自分の愛弟子でもあります。

 

 

 

その弟子たちにも、

この枯山水庭園の静寂を通じて

 

「何かを氣づかせたかった」

違いありません。

 

 

 

決して自分の考えを、

押し付けるのではなく。

 

 

 

言葉による

説明を削ぎ落とし、

 

ただ同じ空間と空氣を

共有することで、

 

自ずからの

心の奥底で悟らせる。

 

 

 

 

まさに

「不言の教え」をもって、

弟子を導こうとしたのでしょう。

 

 

 

 

このような素晴らしい

お弟子さんを持てたことに、

 

私は魂から

感謝したい氣持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

道場に集う

ご縁あるお弟子さん方は、

 

すべて皆、

それぞれ全く違う個性を持っています。

 

 

 

 

ある人には

見事に通用するアプローチが、

別の人には全く通用しない。

 

 

 

稽古のたびに、

そういった壁に直面いたします。

 

 

 

 

だからこそ指導者は、

自らの感性を研ぎ澄まし、

相手と深く和合しなければなりません。

 

 

 

 

​感性を磨けば、磨くほど

経験を重ねれば、重ねるほど。

 

私たち指導者の頭の中には、

無数の引き出しが作成されていきます。

 

 

 

 

それを、

目の前の人に応じて

瞬時に取り出すのです。

 

 

 

 

しかし、

中にはどの引き出しにも

当てはまらない人も出てきます。

 

 

 

 

​そんな時こそ、

決して焦ってはなりません。

 

 

 

 

時間を見つけて、

道場以外のところに目を向けるのです。

 

 

 

 

いかなる時も、

「執着」は百害あって

一利無し。

 

 

 

 

近くの海でも山でも、

神社仏閣でもどこでもいい。

ふと、行けるところに行ってみます。

 

 

私は映画館に行ったり、

寄席に行ったりもします。

 

 

できるだけ

最前列で鑑賞します。

 

 

頭を空っぽにして、

その物語に没頭します。

 

 

 

 

何が何でも探し出してやると

意氣込んで行くと、

 

かえって

何も見つからないものです。

 

 

 

 

一旦、頭をクリアにする。

 

 

 

何もかも放り出して、

その景色や空氣、風、

鳥や虫の鳴き声、

波の音などに心を完全に向けます。

 

 

 

 

すると、

新たな引き出しが

足元に落ちているのです。

 

 

 

 

​詩仙堂 (しせんどう) や

金福寺 (こんぷくじ) の日本庭園でも、

 

そうした心打たれる

静寂な時間がありました。

 

 

 

 

詩仙堂に響く、

「鹿おどし」のコンという乾いた音。

 

 

 

その音が静寂を際立たせ、

心がどこまでも澄み渡り、

雑念が消え去っていきます。

 

 

 

 

また、

松尾芭蕉、与謝蕪村ゆかりの地であり

 

小説「花の生涯」のヒロインである、

村山たか女(むらやまたかじょ)が

波乱の生涯を終えたお寺。

 

それが金福寺です。

 

 

サツキが咲きかけた、

美しい日本庭園。

 

 

ただそこにある

命の営みと同化する。

 

 

 

 

自然の懐に抱かれ、

全てを委ねた時にこそ、

見えなかったものが見えてきます。

 

 

 

 

日常のあらゆる場所に、

私たちが歩むべき

理合いは隠されているのですね。

 

御意。

 

 

​今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

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合氣道琴心館寺崎道場が

大切にしているのは、

 

目に見える形だけにとらわれず、

本質を見極める感性を育むことです。

 

 

自然の理と深く結びつき、

日々の暮らしの中で

大自然と心身を一つに重ね合わせること。

 

 

あれこれと理屈を並べるのではなく、

まずは自分自身が正しい在り方を実践する。

 

 

その生き様を通じて、

ご縁ある方々の歩む道を

温かく照らし出す生き方を、

ともに探求していくことです。

 

 

大自然の理や、

日々の稽古を通じた氣づきを、

 

この道場長ブログ

『ぼくらの合氣道』でも発信しております。

 

健やかな日常を送るためのヒントが、

ここにあるかもしれません。

 

ぜひバックナンバーもご覧ください。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝