" 己を磨く砥石 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
秋分【しゅうぶん】初候
七十二候
第四十六候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
「雷乃収声」は9月23日~27日頃。
夏の間に激しく鳴り響いていた
雷の音が次第に収まり、静かになっていく頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 おのれ を みが く といし 』
他者から聞くだけの知識は、
水に浮かぶ葉のようなものだと思います。
一時的には頭に入りますが、
すぐに流されて消えてしまいます。
それは、
教科書をただ読み、
先生の言葉をただ聞いているだけの状態。
頭の片隅に残ることはあっても、
いざという時に
あなたの血肉と
なってくれることはないでしょう。
一方で、
自ら問いを立て、
探求し、悩み、
そして
つかみ取った知識は、
" 己を磨く砥石(といし)" となります。
真の力は、
教わったことの表面を
なぞるだけでは決して身につきません。
自らが深く探求し、
葛藤し、
そこから得たものは、
自分自身の知性と精神を研ぎ澄ます
「砥石」です。
この砥石によって
磨かれた内なる力が、
困難な道をも
切り拓く鋭い刃となるのです。
それは、
稽古で何百回と
基本技を繰り返すうちに、
技の核心を
自ら見つけ出す過程に似ています。
誰かに「こうやれ」と
教わった形をなぞるだけでは、
ただの身体の動きにすぎません。
しかし、
なぜこの動きが必要なのか、
どうすれば相手の氣を導き、
技をかけることができるのかを
自ら考え抜いた時、
その動きは
本物の技へと昇華していくように思います。
合氣道には
「呼吸動作」という技があります。
他の流派では「坐技呼吸法」とも呼ばれ、
とても難易度の高い技の一つです。
私は、
その「呼吸動作」を習得するために
琴心館本部道場はもちろん、
自宅でも一人、壁に向かって
その動作を繰り返し、繰り返し、
相手が前にいるものと思い、
毎日稽古を続けました。
すると、そのうち、
「あっ!」これかな?と、
閃くことがあるのです。
そして、
実際に道場で
その閃いた身体の動きを
相手に手を持たせ実際に試みる。
しかし、
結果はこれまでと同じ。
全く相手を投げることができない。
それを
何千回、何万回と繰り返すこと、10年。
僭越ですが、
やっと、その奥義の入り口に
たどり着くことができました。
それ以降、
この「呼吸動作」で
相手とぶつかることもなく、
投げることができるようになりました。
道場での稽古も、
読書も、学びも、
そして日々の暮らしも同じです。
ただ教わるだけという
受け身の姿勢ではなく、
自らが能動的に学び、
行動すること。
その一歩一歩が、
" 己を磨く砥石 " となり、
強靭な心と身体を育むのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝