" 大安売りで引き受ける "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『おおやすうり で ひきうける』
先つ日、
中学のクラス会に参加した。
「3年4組クラス会」
2年に1回の開催だったが、
皆、還暦過ぎたので、
" 会えるうちに集まろう "
ということで、
毎年開催することになった。
私は2年に1回位が
ちょうど良いように思うのだが…
昨年は幹事を任された。
何事も引き受けるからには
喜んで引き受ける。
いつでも引き受けます。
これが私の信条だ。
何の道、
誰かがやらねば始まらない。
何事も
頼まれ事は快く引き受ける。
無理でない限り、
断らない。
その役目に必ず、
何かしら
やらなければならない
意味があるからだ。
世の中は全て必然。
起こるべくして起こる。
そういう思いが
全身から出ていたのか?
その氣がクラス会の
同級生達に伝わったのか?
それは知らないが、
また来年も幹事を任された。
来年どころか、
どうやら
永遠の幹事に
されてしまったようなのだ。
はい。
喜んで引き受けます。
クラス会から帰宅し、
家族にその旨を伝えると、
妻からは
「はぁ?また?おだてられて、やらされる事になったん?」
娘からは
「いいように使われてんな、お父さん」
そう言われた。
そう。
そのとおりだ。
おだてられて、
いいように使われてる。
" 豚もおだてりゃ、木に登る "
合氣道では
常に相手の氣を尊び、
決してぶつからない
稽古をしている。
相手の氣とぶつかれば
相手を投げることが
困難になるからだ。
相手の氣を尊重して、
相手の行きたい方向に
相手を導けば、
簡単に「ヒョイ」と
投げることが出来る。
合氣道とは
日常に活かすもの。
永遠の幹事を
快く引き受けた私に
皆、投げられたも同然なのだ。
しかも、皆、
喜んで転がったのだ。
世の中は愉快なものだ。
一方で、
「いや、私はもうやりませんよ」
「いやいや、オレは何も出来ないわ」
このような傲慢な姿は
見ていて非常に見苦しい。
自ら自分の値打ちを下げている。
傲慢、遠慮、
氣兼ね、わがまま、
思い上がり。
それらは一番、
天地大自然から
守ってもらえない
心のあり方だ。
そういう人は
不健康な人が多い。
その人達も例外に漏れず、
同様だろう。
心身ともに
病む人が、
この様なタイプの人だ。
これまで多くの
そういう人を見てきて
そう思う。
病氣、薬、医者と
一生、縁が切れない人なのだ。
人間は天地大自然に
守られてこそ、
本当に心身ともに
元氣になれ
生き生きとして、
健康になれるのだ。
人の思いは " 高く買って "
自分を " 安く売る "
大安売りするんだ。
ありがたく
尊く、感謝して
人の思いを買って、
氣楽に心安く親切に、
自分を安く売る。
自分を護る
護身術など一切必要なし。
全ては
天地大自然にお任せして、
流れのままに
決して逆らわず、
あるがままに
受け入れて
自分の身を惜しまず、
親切を惜しまず、
真心を惜しまず、
笑顔を添えて、
自分自身を
大安売りするのだ。
それが
純粋な清く美しい心だ。
私の家族同様、
周りから見れば
馬鹿でお人好しのように
見えるかもしれない。
でも、
純粋で明るい、
生き生きとした
豊かで無邪氣な心こそ、
氣が出た尊い姿であると
私は信じている。
人から馬鹿に
見られようと、
感謝する心、
人の思いを高く買う心、
自分を大安売りする心、
これをたくさん持ち、
丁寧に毎日磨くことが
輝く人格になる。
それが信頼となる。
良き運命を引き寄せる
強さとなる。
良い縁と結ばれる。
今日蒔いた種が、
将来に芽となって表れる。
蒔いた種通りの
芽となって自分の
前に表れる。
良い種を蒔けば
良い結果として、
悪い種を蒔けば
悪い結果として表れる。
それが、因と縁。
因縁とはそれを言うのだ。
それは厳然として
公平に行われる
天地大自然の配剤で
ありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝