2024-11-21 04:54:00

" やれない理由探しは退化の始まり "

今朝も目覚めることができた、

ありがとう。

 

 

 

『やれない りゆう さがし は たいか の はじまり』

 

 

 

前のエントリーと

重複するが、

 

何事も

無理、出来ない。

 

そう思った瞬間から

何も出来なくなる。

 

 

時間が、距離が、仕事が、

年齢が、疲れる、

面倒くさい、やりたくない…

 

 

出来ない理由は

探せばいくらでもある。

 

いくらでも出てくる。

 

それを自ら肯定する。

 

 

その結果、

道は閉ざされる。

 

成るものも成らなくなる。

 

 

出来ない理由を探して、

それを自ら肯定した。

 

その瞬間から

その人は退化の道を歩むのだ。

 

人間劣化の道を歩むのだ。

 

 

心の劣化は

廃人を意味する。

 

 

やろうと思えば、

いくらでも工夫して

それなりに出来るものだ。

 

その氣になれば、

いくらでもやりようがある。

 

 

本当に

やりたいことであれば、

やる努力はするものだ。

 

時間的に、仕事に

家庭に、肉体的に

 

制約がある

厳しい状況下であっても、

本当に好きなことなら

何としてでもやるはず。

 

 

それが出来ないのは

 

「やる氣がないから」

「その氣がないから」

 

ただそれだけ。

 

 

「行けませんでした」

「出来ませんでした」

 

やる氣がないだけ。

 

 

 

人の言動見ていたら

すぐ分かりますよ。

 

 

分からないふり

氣付かないふりを

してやっているだけですよ。

 

 

見窄らしい下下の言い訳も

理解してもらったとでも

思っているのかねぇ?

 

愚かなことだねぇ…

 

 

 

いくら肉体的に

疲れようが、

 

 

一日やるだけやった。

出し切った。

 

色んな制約のある中で

絞り尽くした。

 

 

その結果、

身体は疲労困憊になる。

 

しかし、

心は晴れ晴れとする。

 

 

だから健康でいられる。

 

 

それが一番尊いのだ。

 

 

「出来ませんでした」

「行けませんでした」

「無理です」

 

そんな事を

言っている人の

心はいつも曇っている。

 

 

言い訳して

心が晴れるはずがないだろ。

 

 

 

人のために尽くせば

世の中のために尽くせば、

 

" しんどい " だとか、

" 無理  " だとか、

" 遠い " とか、

 " 時間がない "

" 金がない " とか、

 

責任持って

私が言い切ってやる。

 

そのような言葉は

絶対に出てこない。

 

 

 

「ありがとう」

感謝の言葉しか出てこない。

 

 

口では " 人のため "

などと言いながら、 

 

所詮、自分本位の考えだ。

 

 

そんな人は

人のためには尽くせない。

 

その器も資格もない人だ。

 

 

 

やれない理由探しは

退化、劣化の始まりだ。

 

 

人間の存在価値とは

「人のために生きる」

ことだ。

 

 

賢者はいち早く

それに氣付くが、

愚者は永遠に氣付かない。

 

 

あんたはどっちや?

 

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

道場長 拝