" 真理を悟れば、弱者は強者になる "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『しんり を さとれば、じゃくしゃ は つわもの に なる』
" 氣が強い " の反対は
" 氣が弱い " である。
「あの人は氣が強い」とか、
「あいつは氣が弱い」とか、
あたかもそれが、
その人の性格で
あるかのように
言われることがある。
私も合氣道を学ぶ前までは、
同じ様に思っていた。
子どもの頃、
周りからも
「お前は氣が弱い」と
よく言われたものだ。
私は " ここ一番 "という
大事な場面で
力を発揮できない人だった。
周りの言う通り、
「氣が弱い人」だった。
氣が強い人が羨ましかった。
どうしたら
氣が強い人に
なれるのだろうか?
昔は
そんな事をよく考えたものだ。
それが一転したのは、
合氣道に出会ってからだ。
藤平光一翁のご著書には、
" 氣に強いも弱いも無い "
" 氣は氣である "
それは性格のような
ものではなく、
氣を強く出せる人のことを
「氣が強い」と言い、
氣を弱くしか
出せない人のことを
「氣が弱い」と言う。
と記されていた。
また、その上で
元々、氣が弱い人が
一度、氣を強く出すことを
覚えたら、
元々、氣が強い人より
さらに氣が強い人になる。
そのように記されていたのだ。
この教えは、
当時の私にとって、
まさに「青天の霹靂」であった。
そうか、
誰でも氣は強く出せるのか。
誰でも氣は出そうと思えば、
いくらでも強く出せるんだ。
この簡単な
天地大自然の真理を
悟ってからは、
日々、氣を強く出すことを
実践した。
「自分は氣が出ている」と
強く思えば、
実際に出ているのだ。
「これを活用すれば、道行く人とぶつからない」
藤平光一翁のご著書には
そうも記されていた。
そうと分かれば、
早速実践あるのみ。
最初の実践には
もってこいの
クリスマスの日だった。
12月25日の
神戸三宮から元町までの
神戸三宮センター街の通りは
クリスマスで凄い人混みだ。
なんという幸運だ。
これも天地大自然が
用意してくださった、
尊いご縁である。
氣の出し方は
師匠である
琴地 茂先生から
直接教わっている。
人混みの
神戸三宮センター街に
氣を引くことなく、
この商店街のど真ん中が
天地の大道なんだ、
そう強く思って、
そのど真ん中の道に
まるでレッドカーペットが
敷かれてあるかのように、
終点を元町と定め、
終点の元町まで
臍下の一点から
氣を出して歩いた。
一切、氣を引っ込めず
出しっぱなし、
放りっぱなしで
悠々と、
三宮センター街の
ど真ん中の
レッドカーペットの上を歩いた。
それは始めての不思議な体験だった。
本当に道行く人が
自ら道を開けてくれるのだ。
すれ違う誰とも
全くぶつからないのだ。
藤平光一翁のご著書に
書かれていたことは本当だった。
実践して初めて分かった。
元町までたどり着いた時には
冬にも関わらず、
全身汗だくで、
元町の大丸前のベンチに
座り込むほど、
氣を消耗したのだ。
それは無理もない、
今にして思えば
氣を出そうと
身体中を力ませていたのだ。
決して、
正しい氣の出し方ではなかった。
正しい氣の出し方は
正しいリラックスなのだから。
然は然り乍ら、
「自分は氣が出ている」と
強く思った、
その身体中から出た
強い思いが、
強い氣となり、
道行く人は
それを感じ取り、
自ら道を開けてくれたのである。
その時、私はそう確信した。
それから12年、
今も道を歩く時は続けている。
これまでの間、
続けて実践して
天地大自然から学んだことは、
すれ違う目の前の人だけを
見て歩くと、
その目の前の人と
ぶつかることがあるから、
要注意であるということだ。
また、「絶対に道を譲らないぞ」
では決してありませんので、
誤解なきよう。
少なくとも
10〜20メートル位、
先を見て歩くのです。
すると10〜20メートル先まで
氣は出ています。
その結果、
10〜20メートルの範囲内で
すれ違う人は
必ず、道を開けてくれます。
もし、
ぶつかりそうになった時は
自分の氣が弱いのです。
また、
ぶつかりそうになった時は
氣を引くのでなく、
前方に氣をより強く
出しながら、
少し、横に寄るなどして
すれ違う相手を
かわしましょう。
これを通学、通勤に
活用すれば、
どんどん氣は強くなります。
元々、氣が弱かった
私が、
一旦、強く氣を出すことを
覚えれば、
そこらの人より
数段、
氣が強い人に
なったことは事実でありまする。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝