" 寄席と合氣道 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
『よせ と あいきどう』
久しぶりに寄席に行って
大笑いしてきた。
大笑いするだけでも
健康に良いのだが、
どうせ行くなら
学びたいものだ。
学ぶといっても
落語家になろうとは
一切思っていない。
噺家さんの
表情や、声の抑揚であるとか、
物の例え方、
さらに
座り方、立ち方など
立ち居振る舞いや、
一挙手一投足まで
しっかり見て学ぶのだ。
寄席や落語という
世界に精通してない
私が言うのは
僭越ではあるが、
上手な噺家さんは
登場人物に
なりきっている。
登場人物が
酒を飲む場面では、
本当にベロベロに
酔っ払っているかのように
演じることができるのだ。
また
その日のネタは
前もって
決めていないらしい。
その会場に
何人位の人が
入っているのか?
男女の比率は?
若いか?年配か?
などを見てから、
その日にふさわしい
ネタを披露するらしいのだ。
なんて高度な
技術なのだろう。
それができるのは、
やはり日々の稽古の
積み重ねがあるからこそ
なのではないだろうか。
そういう意味では
合氣道の指導にも
よく似ていると
私は思います。
「今日の稽古は何をしようか」
稽古時間前には
とりあえずは考えます。
しかし、
その通りに稽古をできるか、
どうかはわかりません。
お弟子さんの
継続年数や級、段位、
年齢、男女比率、
子ども、大人、親子。
その日、
道場にきた
お弟子さんに
合わせた稽古内容に
しないといけない。
それには
予定外の稽古内容を
その場で考え、
正しく
その技やその姿勢の
意味や理合いなどを
正しく
指導できねば
師範は務まらない。
そのために
日々
誰よりも
稽古するのが
師範というものだ。
それを怠る
指導者には
何の魅力もないばかりか、
お弟子さんが
「いい迷惑」なのだ。
優れた師範の
頭の引き出しには、
数千、数万の
「生の引き出し」が
常時設置されているのだ。
生モノは
放っておいたら腐る。
その鮮度を
保つためには、
毎日
火を通して、
冷ましてから
頭の引き出しに
収納しなければいけない。
それを
毎日欠かさずやるから、
より新鮮に
アップデートできるのだ。
それが優れた師範だ。
私が主宰する
合氣道寺崎道場の
指導者育成、
指導者集中稽古に
参加する指導者には、
事あるごとに、
この話をするから、
各々しっかりと
潜在意識の
奥深くまで
浸透していることだろう。
そう願っている。
この日の寄席も
多くの噺家さんから、
大いにあらためて
学ばせていただきました。
ありがたいことです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長拝