" 『修証一如』日常の心のあり方でその道の深浅が出る "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『しゅしょういちにょ』にちじょうの こころの ありかたで そのみちの しんせんが でる
「修証一如(しゅしょういちにょ)」
という言葉がある。
修行と悟りは
一つのものという意味だ。
修行を重ねることで
悟りができる。
しかし、
悟ったといえども
修行を怠れば本末転倒だ。
努力(修)と結果(証)は一緒。
努力することと、
その結果が
一体になっている。
毎日、
近くの道端に落ちている
タバコの吸い殻を拾う。
ついでに空き缶や
ペットボトルもプラ袋も拾う。
ごみを拾うと
道がきれいになる。
その道を歩く人は
氣持ちが良い。
「修証一如」とは
それだけではない。
ごみを拾う人は
拾いながら、
ごみを捨てない人に
なっているということだ。
「拾ってもどうせまた誰かが捨てるんだよ。だから拾っても無駄なことだよ」
いたちごっこであり、
堂々巡りだ、
無益なことだと、
ごみを拾うことを
そうとらえる人も
いるかもしれない。
しかし、
そう考えるなら
「腹がへっても何も食べるな。食うのをやめておけ」となる。
「なぜって?食べてもどうせまた腹がへるんだろう?無駄だからやめとけ」
ということになる。
合氣道には
心身一如とか、
不動心を養うとか、
いろんな修行の言葉があるが、
どれもみな
日常の心のあり方によって、
その人の人格、技、
呼吸の深浅(しんせん)、
深いか浅いか、
高低、厚薄(こうはく)が
表れてくる。
道場で一生懸命に
努力して稽古した。
しかし
その結果、
進歩するのではない。
平生の
努力、
心の持ち方、
心がけ、
行いの中に
結果が入っているのだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝