今日の一言 2024-11-08 (金) ~ 2024-11-10 (日)
道場長の一日一心 " 古の雅 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
『いにしえ の みやび』
このエントリーでも
触れましたが、
先日、
私が14歳 (中学3年生)の時に
極楽浄土へ行った
父の永代経法要で
京都・西本願寺に参拝した後、
京都御所を参観してきました。
御所( ごしょ )とは、
" おんところ "
" THE PLACE "
天皇のお住まいになった
皇居であり、
古来、内裏(だいり)と
称された場所です。
平安時代から江戸時代まで
1000年以上、
天皇陛下が住まわれていた。
京都御所へは入場門である
清所門 (せいしょもん) から
入るのだが、
ここで驚いたことは、
お堀がなく、
高い石垣もなく、
外から中は丸見えで
" 一切、守りがない "
ということだ。
例えば、
姫路城でも皇居でも
高い石垣とか、
巨大なお堀で守られている。
現在、
天皇陛下・皇后陛下が
お住まいになる皇居は
昔、江戸城であったため
上記の通りだ。
しかし、
京都御所には守りがない。
その理由は
日本の神話で、
仁徳天皇の
「民のかまどの話」にある。
民のかまどから
煙が立ち上がらないのは、
炊くものがない。
それは夕飯の支度が
できないほど、
民は貧しいのか。
それなら、
税を取るのをやめよう。
税が課せられなくなった
民のかまどからは
夕飯の煙が上がりだした。
その後も、
仁徳天皇は
民の生活が豊かになるまで、
税を課さなかった。
御自らお食事も倹約され
衣類もボロボロになり、
さらに、
宮殿の屋根からは
雨漏りがする。
だが、
民の幸せを優先なさいました。
さすがに皇后陛下が
そろそろ税を課されては
いかがでしょうか。
「いや違う、民の幸せこそが朕の幸せである」
朕 (ちん) とは
天皇の自称、第一人称。
やがて裕福になった民が
自らの意思ですすんで
宮殿の屋根の改修工事をした。
つまり、
京都御所は
守る必要がないのだ。
それに対し、
西洋の王や中国の皇帝は
私利私欲で民を支配する。
だから、
民から自らを
守らねばならない。
しかし、
日本の天皇陛下は
守られるのではなくて、
国民を見護ってくださる。
だから
誰からも襲われる
心配がない
唯一の方なのだ。
これが京都御所に
守りがない理由だ。
つまり、
いにしえの時代から
" 人のために生きる "
という
日本人の精神があったのだ。
京都御所を参観中に、
隣で参観していた人から
こんな会話が聞こえてきた。
「朕は寒かっただろうね」
「そうだね」
「今みたいに床暖房なんてない時代だものね」
今も昔も天皇陛下は
決して、
私利私欲のための
贅沢はなさらない。
ご自身のことも
ご家族のことも
祈られない。
ただただ
国民の幸せだけを
祈ってくださる。
それは
「人のために生きる」
という生き方である
日本の理念を
祈りを通じて、
全ての国民にお示しになる
ご存在なのだ。
神武天皇から2600年以上、
126代続いている
日本の国体。
それは世界で唯一、
日本だけなのだ。
" 世のため、人ために生きる "
それは
我々、日本人には
古来より受け継がれてきた
その日本固有の理念は
日本人の精神であり文化でも
あるのではなかろうか。
前のエントリーにも
記した通り、
世界中、何でもありの世の中だ。
自分と家族のためだけに生きる。
それは人として
必要最低限の生き方ではある。
しかし、
皆がそうであるとしたら、
それは醜い争いを生む
自分勝手な
社会になるのではないか。
自分と家族のためだけに
一所懸命働く。
それは一見、ごく普通で
当たり前のことと
捉えられるかもしれない。
しかし、
本来、仕事というものは
職種に限らず、
全て世のため、人のために
あるものだ。
この給料では
家族を養えないから、
人を蹴落としてでも
人を落としいれてでも、
人に迷惑をかけてでも、
人を裏切ってでも
金のためならやる。
自分の生活と
家族を養うためだ。
" そのためなら仕方ないじゃないか "
人のため、地域のため、
社会のため、世の中のため、
そのようなことに生きる
志など毛頭ないという人が
あまりにも多すぎるように思う。
そんな人ほど
深刻な悩みを抱えているものだ。
この先、自分と家族に
良き人生、良い生活が
訪れるとでも思っているのか?
人が世界が
どれほど汚れ、壊れても
私達はそこに棲まねばならない。
その地で誰かが
人のため、社会のために
生きていかねば、
日本はいずれ滅びゆく。
今の子どもたち、
さらにまだ見ぬ子どもたちが
棲むこの世界が、
これ以上、
壊れないように
汚れないように
日本が滅んでいく前に
ちょっとは
真剣に考えなくては
なりませぬ!
古代より連綿と続く
" 人のために生きる " という
精神文化を持ち続け、
それが潜在意識の奥深く、
無意識の領域にまで
浸透している
人でなければ務まらない。
他人がどうであれ、
もうそんなことは
どうでも良い。
少なくとも、
私は合氣道という武道で
" 世のため "
" 地域のため "
" 人のため "
その精神を持ち続け、
天地大自然と共に生きる。
" 万有愛護 "
それは天地大自然に存在する
森羅万象全てのもの。
そのものの特性をよく見、
よく理解すること。
" 万物育成 " とは、
あらゆるものには
長所と短所がある。
その長所をプラスになるよう
自ら率先して導くこと。
それが天地大自然の心である。
その天地の心こそが
我心であるのだ。
天地大自然に
恥ずかしくない
生き方をすること、
それが今を生かされている
自分の責務であるのだ。
それを淡々とやり続けよう。
たとえ、ほふく前進でも
前に進めよう。
誰もやらなくても
自分だけは
氣を出してやり続けよう。
" 私は日本男子だ "
草木が色づきはじめた
京都御所で深く自覚した。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
道場長 拝