今日の一言 2026-05-15 (金) ~ 2026-05-17 (日)
道場長の一日一心 " 合氣道は答えの見つからないことを考える学問であり、哲学だ 。 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立夏【りっか】末候
七十二候
第二十一候 竹笋生【たけのこしょうず】
5月15日~20日ごろ。
タケノコが生えてくるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 あいきどう は こたえ の みつからない こと を かんがえる がくもん で あり、てつがく だ。 』
何事も真似からはじまります。
今から十四年ほど前のこと。
私は、合氣道琴心館の末席に
加えていただきました。
それからというもの
ひたすら師である
琴心館 館長 琴地 茂先生の
真似をいたしました。
技はもちろんのこと。
姿勢、所作、立ち居振る舞い。
そして、
話し方や言葉の選び方に至るまで。
真似をしたからといって、
それがすぐに身について
会得できるわけではありません。
しかし、
師の真似からはじめなければ、
何もはじまらないのです。
そうして
長年かけて身に付けた基礎。
そこに、
自分自身の経験や探究が加わります。
そうして初めて、
オリジナリティが
確立されるのだと思います。
表面的な形だけをなぞって
終われば、
それはただの真似事に過ぎません。
しかし、
稽古を重ね、
真似をしていく中で
大きな壁に当たります。
どうしても、
師の心身の繊細な動きが
真似できないのです。
実は、そこからが
最も深く大切な学びとなるのです。
その大切な学びの答えは、
いくら調べても見つかりません。
どのような本を読んでも
書いてはおりません。
誰に聞いても
教えてはもらえません。
現代のように、
ネットやAIで検索しても
答えは出てこないのです。
ありとあらゆる方法を駆使しても、
答えが出ないこと。
その見えない答えを
深く深く考えること。
それこそが、
「学問」なのだと私は思います。
そして、
それは「哲学」でもあります。
合氣道は
常に相手が存在します。
手を持たせたとしても、
相手が変わればすべてが変わります。
だからこそ、
絶対的な正解など存在しないのです。
ただ一つ、
確かなことがあるとすれば、
それは、
臍下の一点に心を静めること。
重力に逆らわず、
自然に落ち着くということです。
つまり、
正しいリラックスをするということ。
物体の重みが、
落ち着くべきところに落ち着く。
それを「落ち着き」と呼びます。
この心身の
「落ち着き」を土台にしてこそ、
私たちはさらに深く
真の問いに向き合うことができるのです。
調べても、探しても、
誰に聞いても
答えは見つからないことを、
懸命に考える。
それこそが、
学問でございます。
合氣道とは、
単に相手を投げる、投げられる。
あるいは、技が効く、効かない。
そのようなものでは決してないと、
僭越ですが、私は考えています。
ただ身体を動かすだけでは、
到底たどり着けない。
見えない答えを永遠に探究し続け、
己の在り方を問い続けること。
目に見える形を超えて、
深く理合いを探究していくこと。
それはまさに
一つの哲学であると、
不肖私はそのように思うのでありまする。
今週もありがとうございました。
良い週末を。
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合氣道琴心館寺崎道場が
大切にしているのは、
単に技の形を学ぶことではありません。
臍下の一点に心を静め、
揺るぎない心身の落ち着きをはかること。
そして、答えのない問いに
自ら向き合うその探究の姿勢が、
確固たる自己の確立へと繋がっていくと信じ、
ともに歩んでいくことでございます。
自然の理や、
見えない答えを探す日々の稽古の氣づきを
この道場長ブログ
『ぼくらの合氣道』でも発信しております。
常に揺れ動く現代社会において
自分自身の軸を確立し、
健やかに生きるためのヒントが
ここにあるかもしれません。
ぜひバックナンバーもご覧ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝