今日の一言 2025-11-20 (木)
道場長の一日一心 " 無意識の所作、親の「躾」と子の「未来」 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
立冬【りっとう】末候
七十二候
第五十七候 金盞香(きんせんかさく)
11月17日~21日ごろ。
寒い冬の訪れとともに、可憐で香りの良い水仙が咲き始めるころ。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 むいしき の しょさ、おや の「しつけ」と この「みらい」 』
先日、
所用でとあるお店に立ち寄りました。
目的の鞄売り場のすぐ前が、
店舗の試着室スペースになっていました。
そこで、
目を覆いたくなるような
光景を目にしました。
一人の男性(40~50歳くらい)が
試着室にズボンを持って入ろうとした際、
脱いだ履き物(サンダル)を
あたり構わず脱ぎ散らかして
そのままにしてしまったのです。
それは、
試着室の前を通る人を
塞ぐかのように散乱していました。
本来、
履き物を脱ぐという行為には、
わずかな時間であっても、
「次に履く時のこと」
「その場を使う人のこと」を考える、
一種の作法が伴うはずです。
それは
合氣道の道場における
「履物を揃える」という、
ごく基本的な所作と全く同じです。
" 履き物を揃える、一つの教え "
合氣道琴心館寺崎道場では、
この「履物を揃える」という
所作を非常に重んじます。
これは、
単に見た目の美しさや
整頓のためだけではありません。
それは「心」の整頓です。
それは「次の人」への配慮です。
それは「自分」を律する修業です。
履き物が
バラバラに散らかった状態は、
そのまま
その人の「心の乱れ」を象徴しています。
自己中心的な振る舞いであり、
「公」の場における
「道」の欠如と言わざるを得ません。
まことに見苦しく、
一日本人として、
とても恥ずかしく思いました。
" 躾は連鎖する。
親の「行い」は子の「未来」"
この男性は、
おそらく幼少期に
「履き物を揃える」という
基本的な躾を
受ける機会がなかったのでしょう。
そして、
もしこの男性に
子どもがいるとすれば、
その子どもたちも、
親である彼の「行い」を
無意識のうちに学んでしまいます。
注意する
親の姿を見ていないのですから、
彼らもまた、
同じように
履き物をバラバラにしてしまうでしょう。
「躾」とは、
「身を美しく」と書きます。
親から子へ、
目上から目下へと
受け継がれていくものです。
" 常に「道場」の意識を持つ "
私たちは、
道場を一歩出た場所でも、
常に
「道場にいるのと同じ心」を
持ち続けるべきです。
試着室の前であっても
お風呂屋さんのトイレであっても、
「履物を揃える」という
たった一つの行いが、
その人の「人間性」を映し出します。
他者への配慮、
自らを律する心。
この当たり前の「道」を、
私自身も日々の稽古と
生活の中で実践し続け、
お弟子さんたち(特に子どもたち)に
伝えていきたいと改めて強く誓いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝