今日の一言 2025-10-28 (火)
道場長の一日一心 " 【道場長の警鐘】 親は見逃すな! 子どもの目にも宿る「心の無氣力」。合氣道で魂の輝きを取り戻す "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
霜降【そうこう】次候
七十二候
第五十三候 霎時施(こさめときどきふる)
10月28日~11月1日頃。ときどき小雨が降る頃。
小雨はすぐに止んでしまうような降っては止み、すぐに晴れるといった時雨(しぐれ)のことを指します。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【どうじょうちょう の けいしょう】おや は みのが す な!こども の め に も やど る " こころ の むきりょく " 。あいきどう で たましい の かがやき を と り もど す 』
" 目に力がない(氣の流れの停滞)"
大切な場面でも、
視線が虚空をさまよい、
まるで魂が
そこにないかのような
無氣力な目。
目力は、
その人の「生命力=氣」の表れです。
人生や仕事に対する情熱が欠け、
他人への興味も無くなる。
といった「氣」が滞っている状態は、
共に何かを成し遂げようとする
力にはなりません。
その無氣力は、
周囲にも伝播し、
全体の活力を奪うことすらあります。
"「目に力がない」とは何か "
ここで言う
「目に力がない」というのは、
単に内氣であったり、
疲労が溜まっているという
レベルの話ではありません。
それは、
その人の「生命の情熱」や
「他人への純粋な興味」といった、
心の内側にある
火が小さくなっている状態を指します。
こういった目を持つ人は、
人生に対する情熱が薄れ、
共に何かを
成し遂げようとする力が弱いものです。
重要な話をしている
にも関わらず、
その視線は虚空をさまよい、
まるで魂がそこにないかのように
感じられる。
その無氣力な態度は、
氣が停滞した状態であり、
周囲の活力を
吸い取ってしまうかのように
伝播してしまう危険性を持つのです。
"【稽古の現場から】指導者が感じ取る子どもたちの「氣の停滞」"
そして驚くことに、
この「目に力がない」サインは、
私が指導する
子どもクラスの稽古でも
時々、見られることがあります。
大人の場合は
「仕事や人間関係による疲労」や
「家庭や人生への不満」が
原因であることが多いように思います。
しかし、
どのような状況下においても
氣が滞って
問題が解決するようなことは
一切ないのです。
人生、生きていたら色々あります。
不満や心配事も
それはそれとして、
そんな時こそ、
無理矢理でも、楽しく愉快に
「氣を出す」ことを心がけましょう。
すると、
「あらっ、不思議」
心配事や不満の方が
勝手に何処かへ去ってしまいます。
ただ、
子どもの場合はより根深く、
「自発性の欠如」や
「挑戦意欲の喪失」が
原因である場合が少なくありません。
「しっかり目を合わせなさい」と
指導しても、
彼らの視線は
床や窓の外を彷徨います。
技の細かな注意や、
私が全身全霊で
伝えようとしている「心」が、
目のフィルターを通して
入っていかない。
それは、
私にとっても最も空しい瞬間です。
一人の子どもの目が
輝きを失っていると、
その周辺にいる
子どもの集中力も
同時に落ちることも少なくありません。
道場全体の活氣、
「氣」の満ちた空間が、
その子の無氣力によって
乱されてしまうのです。
この状態を放置することは、
道場に集まる
子どもたちの将来の情熱や、
挑戦する力を
奪うことにつながりかねません。
" 師範としての心得:目力を取り戻す指導 "
私たち指導者の役割は、
ただ技を教えるだけでなく、
彼らの心に再び火を灯すことです。
まずは、
座学ではなく
身体を思い切り動かす
稽古を通じて、
停滞した「氣」を巡らせます。
大きな声を出し、
ぶつかり、
汗を流すことで、
身体から心に働きかけ、
無理やりにでも
生命の躍動を取り戻させます。
"「合わせる」ことの徹底 "
技の稽古だけでなく、
「相手の目を見る」
「指導者の目を見る」という
「合わせる」行為を徹底します。
目は心の窓です。
目を合わせることは、
他者への興味と敬意、
そして
自分自身の存在を
再認識させる重要な手段です。
目に力が宿るとき、
その子の生き方は、
再び情熱と好奇心に
満ちたものになるはずです。
私たち大人が、
まず目を輝かせ、
子どもたちの「氣」を
呼び覚ます役割を担うことが
重要ではないでしょうか。
そして、
子どもたちの
「無氣力」や
「うつろな目」には
少なくとも
家庭環境が
影響している
ことを
親は
認識することです。
子どもはいつの時も
何らかのサインを発信しているのです。
それを見逃すな!
わが子が道場で
どのような表情で稽古しているのか?
「稽古に行っておいで」と言って、
親は子を放ってないで、
他人任せにして呆けてないで、
わが子の稽古を
しっかり見ることです。
心の状態を見るには
合氣道の技は
顕著にそれが表れます。
そこに " ごまかし " は一切ありません。
心の状態がそのまま
形や表情になって表れます。
私は合氣道指導者になって、
13年間、これを言い続けてきました。
しかし、
残念なことに
ありのままに申して、
それを
実践する親は
現在も皆無に等しいのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝