今日の一言 2025-10-27 (月)

道場長の一日一心 " 稽古は人生にあり、心を乱す相手との「間合い」の取り方、その一 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

今週もよろしくお願いします。

 

 

本日は、二十四節氣

霜降【そうこう】初候

 

七十二候

第五十二候 霜始降花(しもはじめてふる)

10月23日~10月27日頃。

だんだんと北国や山間部で霜が降り始める頃。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 けいこ は じんせい に あり、こころ を みだ す あいて と の「まあい」の とり かた、その いち 』

 

 

 

 

" 合氣道で培った智慧を人生最大の稽古場(人間関係)で活かす "

 

 

​合氣道師範である

私の信念は、

 

「道場での稽古」と

「人生での立ち居振る舞い」は

不可分であるということです。

 

 

合氣道の技を磨くことは、

すなわち人生を

 

より良く生きるための

「心のあり方」を練ること。

 

 

そして、

その核心にあるのが

「間合い(まあい)」の取り方です。

 

 

 

道場を一歩出た

「人間関係」という

人生最大の稽古場においても、

 

この「間合い」の取り方を

間違えれば、

 

私たちの心は

疲弊し、

 

最悪の場合は、

心身を痛めるトラブルに

巻き込まれてしまうことがあります。

 

 

 

 

そして、私は

心が乱れている人が発する

 

「不吉な無言のサイン」

感じ取るようになり、

 

その後の展開は、

ほぼ私の予感通りとなります。

 

 

 

 

" 心が乱れた人が発する「不吉な無言のサイン」"

 

 

 

​長年、

多くのお弟子さんや

人々と接する中で、

 

私は無意識のうちに

自然と「人間観察」という智慧を

養ってきました。

 

 

 

心に何か

強い「わだかまり」を持った人には、

 

たとえ道場以外、

道端で会ったとしても、

 

また、

実際に会わなくても

 

LINEやメールの文面からも

私は非常に強い違和感を感じます。

 

 

 

それは、

心が澄んでいる人とは

明らかに違う

 

ありのままに申して、

とても氣持ち悪い

「不吉な無言のサイン」なのです。

 

 

 

私は、

「心の乱れは、必ず身体や表情、特に視線に表れる」

と確信しています。

 

 

私が感じ取る

数あるサインのうち、

 

今日は二つを取り上げ、

 

私なりのその

「間合いの心得」をお話します。

 

 

 

一つ、

心の和合を拒む「否定から入る人」

 

 

​このタイプは、

対話を「協力」ではなく

「勝ち負けの戦い」と捉えています。

 

 

彼らにとって、

相手の言葉は

 

受け入れるべき情報ではなく、

打ち負かすべき「敵」の攻撃なのです。

 

 

​その動作や顔の表れには

「怒りに満ちた目」を感じます。

 

自分の意見が通らない時や、

相手を言い負かした瞬間に、

 

目が猛禽類のように

鋭く光るのが特徴です。

 

その目の奥には、

常に戦いを求める苛立ちが

宿っているのです。

 

相手の言葉を

理解しようとする前に、

 

「いや、それは違う」

「でも、現実は」

否定から入るのが常です。

 

常に相手の提案の「粗探し」をし、

マウントを取ることで

自己を保とうとします。

 

 

常に戦いを求め、

和合を拒む相手と深く関わることは、

 

自分自身の平穏を

奪われることに他なりません。

 

彼らと戦う必要はありません。

 

自分の「中心」を崩さぬよう、

静かに距離を置くのが

賢明であると私は思います。

 

 

こういう心の持ち主に

育てられた子どもは

 

一体、

どんな大人に

育っていくのでしょうか?

 

 

つい最近も、

そのような人は

 

ご自分のご意思で

退会なされました。

 

 

そのご意思を尊重して、

私はお天道さまの良き計らいに

感謝しています。

 

 

 

二つ、

不誠実さを隠す「核心で泳ぐ視線の人」

 

 

​視線は言葉よりも雄弁に、

その人の本質、心の度合いを語ります。

 

 

​動作・顔の表れには

核心での「視線回避」があります。

 

 

真実や重要な約束事、

あるいは自身にとって

不利な事実など、

 

「核心」に触れる瞬間に、

視線が定まらずに泳ぐ、

 

あるいは

露骨に目を逸らします。

 

 

 

視線が定まらないのは、

心に「後ろめたさ」

「隠し事」がある動かぬ証拠です。

 

 

口では流暢な言葉を並べても、

また、張り子の虎のように

「うんうん」と頷いていても、

 

視線は言葉の裏にある

「不誠実さ」「嘘」を物語っています。

 

 

 

相手を

欺(あざむ)こうとする心は、

 

自身の「氣」を停滞させ

それが視線の動きとして現れます。

 

 

誠実な「氣」

持たない相手とは、

深い信頼関係を築くことは不可能です。

 

 

​どれほど良い条件や

口上があっても、

 

この「視線」という

非言語サインを私は唯一信用します。

 

 

 

言葉の表面に惑わされず、

自分の心のセンサーを最優先することです。

 

 

 

" 究極の自己防衛と危機管理 "

 

 

私は、

自分の心が「違和感」を覚えたら、

 

それは天地から与えられた

「最高の智慧」という

心のセンサーであると信じています。

 

 

相手の「乱れ」に引きずられ、

その氣の渦に巻き込まれてはなりません。

 

 

 

常に、

自分の中心「臍下の一点」

 

崩さぬよう、

心身統一を保つことが大切です。

 

 

 

​そして、

違和感を感じたら、

適切な「間合い」を取ること。

 

 

これが、

人間関係のトラブルを

 

未然に防ぐ

「究極の自己防衛術」であり

「危機管理能力」です。

 

 

 

 

" 普段の何氣ない会話にこそ、その人の心の闇が顕著に表れる "

 

 

 

 

道場での何氣ない会話や、

街でたまたま出会った際の

「こんにちは」の挨拶にも、

 

私は、

その智慧という

センサーは弛まず働かせます。

 

 

そして、

度重なるように

 

とても氣持ち悪い

「不吉な無言のサイン」

を感じ取った人とは、

 

「今はその人とは接するべきではない」と判断し、

 

その相手と間合いをとった後の

「人間関係」、

「お付き合い」は、

ことさら意図的な行動は起こしません。

 

 

全てを

天地大自然の

良き計らいにお任せするのみです。

 

 

​ご縁が「繋がる」も「切れる」も

私はお天道さま任せです。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございますございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝