今日の一言 2025-07-23 (水)
道場長の一日一心 " 花火に学ぶ「一心」の教え "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
大暑【たいしょ】初候
七十二候
第三十四候 桐始結花【きりはじめてはなをむすぶ】
二十四節氣は「大暑」へと移りました。
二十四節氣における夏の最後の節氣で、
一年で最も暑さが厳しい時期とされています。
「桐始結花」は7月22日~27日ころにあたります。
きりの花が実を結び始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 はなび に まな ぶ「いっしん」の おしえ 』
" 夜空に咲く祈りの華 "
毎年夏になると、
合氣道琴心館寺崎道場では
恒例の指導者練成稽古と
特別集中稽古が開催されます。
今年も8月1日からお盆明けにかけて、
東京と神奈川の地でお弟子さんたちと
共に汗を流す予定です。
この時期になると、
お弟子さんたちから決まって
「先生、どうせなら隅田川花火大会の時に東京に来てくださいよ!」
「とても綺麗なので、ぜひ先生にも観ていただきたいです」
などと嬉しい誘いの言葉をいただきます。
残念ながら、
これまで稽古日程との兼ね合いで、
その壮大な光景をこの目で見る機会に
恵まれませんでしたが、
いつかその大輪の花々を
夜空に眺めてみたいと願っています。
そこで、
今日の「道場長の一日一心」は、
この夏の風物詩、
花火に焦点を当ててみたいと思います。
" 花火に込められた江戸の祈り "
今から約300年前、
江戸時代中期の1732年。
享保 (きょうほう) 17年に
全国的な大飢饉「享保の大飢饉」が発生し、
加えて
江戸では「コレラ」を意味する疫病
「虎狼痢 (コロリ) 」が猛威を振るい、
多くの人々が命を落としました。
この事態を深く憂慮した
第八代将軍、徳川吉宗公は
亡くなった人々の霊を慰め、
疫病退散を祈願するため、
両国橋のたもとで行われる
夏の風物詩「納涼祭(川開き)」の際に、
亡くなった人々の魂を慰め、
疫病が退散するよう願いを込めて
花火を打ち上げたそうです。
これが、現在まで続く
日本を代表する花火大会である、
隅田川花火大会のルーツなのだそうです。
" 鎮魂と娯楽、そして技術の競演 "
現代の華やかな花火大会からは
想像もしにくいですね。
その起源は
疫病の流行と多くの死者への鎮魂、
そして疫神退散の祈りにあったのですね。
コレラに限らず、当時の夏は
様々な疫病が蔓延しやすい季節だったのでしょう。
花火は、
病に倒れた人々への供養であり、
彼らをあの世へ送り出すための
光でもあったのです。
当初は慰霊と疫病退散が目的でしたが、
次第に庶民の夏の楽しみとして定着し、
日本の代表的な花火大会へと
発展してきたという歴史があるのですね。
このように、
隅田川花火大会は
単なる娯楽として始まったのではなく、
厳しい時代に亡くなった人々への鎮魂と、
疫病の終息を願う
切なる祈りから生まれた歴史を持っているのです。
" 花火師たちの意地と絆 "
この時に花火を打ち上げた花火師は、
「鍵屋六代目弥兵衛」であったと記録されています。
その後、「玉屋」も登場し
夜空に大輪の花が咲くたびに、
観客が「たまや~!」「かぎや~!」と
掛け声を上げたのは、
この二つの花火師の名から来ているのだそうです。
「鍵屋」「玉屋」の二大花火師が
技術を競い合うようになり、
その掛け声が現在まで残っているのです。
しかし、
不運にも「玉屋」は
火事を起こしてしまいます。
当時、
木造建築が密集する大都市・江戸において、
失火は重大な罪とされ
江戸を追放されるという厳しい刑を
科されたのでした。
一方の「鍵屋」は、
その伝統を現代にまで連綿と受け継ぎ、
現在も十五代目として
日本の花火文化を支え続けています。
" 花火から学ぶ「一心」"
花火は一瞬の輝きですが、
その一瞬のために
花火師たちは全身全霊を傾けます。
彼らの技術、情熱、
そして何よりも
人々の平和と安寧への祈りが、
あの夜空の大輪を創り出しているということ。
それは、
合氣道の稽古に繋がるものがあります。
日々の鍛錬、
一瞬一瞬に集中する「一心」の精神。
心ここにあり。
花火に込められた
先人たちの想いを感じながら、
私もまた、
来るべき夏の稽古に「一心」で臨む所存です。
皆さんも、
今年の夏、夜空に輝く花火を見上げながら、
その美しさだけでなく、
その裏に秘められた「歴史」と
「先人たちの祈り」に
思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝