今日の一言 2025-04-09 (水)
道場長の一日一心 " 朽木に花は咲かず "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 清明 ( せいめい ) ・次候
七十二候
鴻雁北 こうがんかえる
第十四候
「清明」は初候から次候へと移りました。
「鴻雁北」は4月9日~13日ごろに相当します。
春の終わり頃に、冬を日本で過ごした雁(がん)が北の繁殖地へと帰っていく様子を指します。
今日のお題
『きゅうぼく に はな は さか ず』
「朽木 ( きゅうぼく ) は雕 ( え ) るべからず」
これは、『論語』の一節にある
孔子の言葉です。
現代語訳では、
「朽ちた木を彫ったところで、立派な彫刻にはならない」 と解釈されるようです。
この言葉を人間に当てはめると、
「しょうがないやつは、どうしようもないんだ」と、
まるで人を切り捨てるような
響きさえ感じられ、
非常に厳しく、突き放した印象を
受けるかもしれませんね。
しかし、
本当に孔子は
ただ単に「ダメなものはダメだ」と
言いたかったのでしょうか?
" 朽木を通して見えてくるものは何か?"
朽ちた木は、
もはや生命力を失い、
内部から腐食が進んでいます。
どんなに腕の良い職人が、
そのような木にノミを入れ、カンナで削り、
丹念に彫り上げようとしても、
美しい彫刻を生み出すことは難しいでしょう。
土台が脆弱であれば、
努力も無駄に
終わってしまう可能性があります。
孔子のこの言葉は、
「基礎」や「本質」の大切さを
教えてくれているのではないでしょうか。
何かを成し遂げようとする時、
土台となる部分が
しっかりしていなければ、
いくら表面を繕っても、
最終的には脆く崩れてしまう。
それは、
人の成長にも
当てはまるのかもしれません。
" 厳しい言葉の裏にある願いとは?"
もちろん、
「朽木のような人」という表現は、
現代においては
非常にデリケートなものです。
人を安易にレッテル貼りし、
見捨てるような考え方は、
決して推奨されるものではありません。
しかし、
孔子の言葉を別の角度から
捉えるならば、
それは
「自ら変わろうとすることの重要性」を
教えてくれているとも
言えるのではないでしょうか。
自らが
朽ち木から脱却しようと努力すること。
周りの人たちも、
その変化を促すような働きかけをすること。
それが大切なのではないでしょうか。
孔子の
「朽木 ( きゅうぼく ) は雕 ( え ) るべからず」
という言葉は、
一見すると厳しいようですが、
その奥には、
「基礎の大切さ」や
「本質を見抜くことの重要性」、
また「自ら変わろうとする意志の力」といった、
普遍的な教えが
込められているのではないでしょうか。
" 朽木に花は咲かず "
私たちもまた、
何かを成し遂げようとする時、
あるいは誰かの成長を願う時、
この言葉を改めて胸に刻み、
深く考えてみる必要がありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝