今日の一言 2024-05-01 (水)
人として一流をめざすための道場長の今日の一言 " 直ると直らない。氣付くと氣付かない "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『なおるとなおらない。きづくときづかない』
人は身に付いた癖
というものは
なかなか直らないものだ。
また
それになかなか
氣付かないものだ。
合氣道の技においても
例外ではない。
むしろ
人それぞれの癖が
身体中から表れる。
4月29日に行われた
第26回兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会において
不肖私が指導する
お弟子さん方も
大いに持てる力を
発揮しておられた。
全てのお弟子さんに
心から拍手を送りたい。
各教室、道場では
子どもから高齢者まで
同じ技を繰り返し
稽古する中で
演武大会前日まで
直すべき点は
直すよう指導した。
そして
演武大会本番では
今までの癖を改善した人と
そうでない人とに分かれた。
ある子どもは
手の上げ方に
悪い癖があったので、
「もっと大きくのびのびと手を上げよう」と
指導したところ本番でも
「この手よ天に届け」
と言うが如く、
素晴らしい
手の上げ方をしていた。
また、ある子どもは
投げるときの顔の向きに
悪い癖があった。
本番では
まず左手を使って
相手を投げるが、
その時はこれまで通り
顔の向きは直っていなかった。
しかし、
右手を使って投げる時には
良い方向に
向くことが出来ていた。
これは最初は
今までの悪い癖が
出てしまったが、
次に思い出し
改善出来たのだ。
最初から
それが出来ていたら
もっと良かったことは
言うまでもないが、
それでも
直せたことは立派だ。
演武大会の趣旨は
自分の落ち着き度を
自分自身で知ることだ。
落ち着いて
いたからこその結果である。
またある者は
前日にはその技の特性と
氣の動きをあらためて理解し、
技が直った
にも関わらず、
本番では完全に
元の木阿弥だった。
おそらく、
それにすら
氣付いていないことであろう。
合氣道において
投げとは
技をかける側であり、
受けとは
投げの手を取りにいったり、
突きにいったりする側である。
技が上手くいくのも、
またそうでないのも
全て自分の責任である。
決して
受けの責任では
到底ありませぬ。
ほんの僅かな
氣の緩みや
意識の上ずりが
本番あらわになった結果だ。
私達が稽古する
合氣道の技は
天地大自然の理に適っている。
受けの氣を尊重し、
その氣を導いて
自分が投げたい方向に
投げるには
どうしたら良いのか。
それが正しければ
受けは喜んで
自分についてくるのだ。
何かが不足し、
何かが
正しくなかった時には
思うように技がかからず、
思うような
投げもできないものだ。
それだけのことだ。
全ては自分の行いの結果だ。
「前日の受けのほうが良かった」
なとど言っているうちは、
その大切なことを見逃している。
「昨日のほうが良かった」のは
相手ではなく自分であり、
正しく受けを
導くことが出来た結果だ。
それに氣付いていないのだ。
厳しいことを言うようだが、
これが正論だ。
演武大会に出場する
ということは
「今の自分」
というものを
明らかにしてくれる
天地大自然の配剤だ。
とても尊いことだ。
感謝すべきことだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝