今日の一言 2026-01-30 (金) ~ 2026-02-01 (日)

道場長の一日一心 " ​誕生日の真の意味。「オギャア」と産声を上げた日、忘れてはいけないことがある "

今朝目覚めることができた。

ありがとう。

 

 

本日は、二十四節氣

大寒(だいかん)末候

 

七十二候

第七十二候 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

1月30~2月3日ごろ。

鶏が卵を産み始めるころ。

七十二候の最後、

つまり一年を締めくくる最後の候にあたります。

 

 

 

 

 

今日の " 道場長の一日一心 " 

『 ​​​たんじょうび の しん の いみ。「おぎゃあ」と うぶごえ を あげ た ひ、わすれ て は いけな い こと が あ る 』

 

 

 

 

 

誰にも訪れる誕生日。

 

その日は、

プレゼントをもらい、

ご馳走を食べ、

 

「おめでとう」と家族や友人から祝福される日。

 

 

それもいいとは思います。

 

 

でも、本当にそれだけでしょうか?

 

 

 

 

" 私たちは、忘れてはならない事実があります "

 

 

 

 

私たちが

「オギャア」と産声を上げたその日、

 

その瞬間は、

母が人生で最も苦しみ

命がけで痛みに耐えた日なのです。

 

 

その母の

決死の覚悟と痛みの上に、

今の私たちの「生」がある。

 

 

 

 

それを忘れ、

「この日だけは自分が主役だ」と

言わんばかりに浮かれるのは、

 

あまりに幼く、

そして傲慢ではないだろうか。

 

 

 

 

母の痛みを忘れ、

ただ祝いを受けるだけの誕生日は、

 

一年に一度の特別な日を

「ただの値打ちのない日」にしてしまう。

 

 

 

 

 

 

​私はこの1月で64歳になりました。

 

 

両親はすでに鬼籍に入っています。

 

 

 

私が中学3年生の時に、

父は39歳という若さで、

極楽浄土へ旅立たれました。

 

 

 

父が生きられなかった時間を

遥かに超え、

 

こうして

生かされていることの重みを、

年々強く感じています。

 

 

日々の合氣道の稽古を通じて、

私が辿り着いた

「命の理(ことわり)」があります。

 

 

 

 

命とは、

親が勝手に作ったものではなく、

「天」から授かったものです。

 

 

 

 

では親とは何か。

 

 

 

親とは、

天から降りてくる尊い命を

この世に迎えるために、

 

「天の代理」という

大役を引き受けてくれた

人たちのことではないでしょうか。

 

 

 

 

​母はその身を裂くような

痛みをもって天命を果たし、

 

父はその命を

守るために生涯を捧げた。

 

 

 

 

だからこそ、

誕生日は「自分を祝うだけの日」ではない。

 

 

 

 

 

天の代理として

役目を果たしてくれた両親と、

 

命の源である天地に、

「生んでくれてありがとう」

 

 

そして、

「今日までこの命を生かしてくれてありがとう」

と、

 

ひたすらに

感謝をする日なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

​私は誕生日は、先祖の墓参りをします。

 

 

 

 

今年も冷たい風の中、

墓石に向かい、

 

母の痛みに思いを馳せ、

父の恩愛を想う。

 

 

 

 

「父と母が天の代理として

繋いでくれたこの命、

64年目も大切に使わせていただきます」

 

 

 

そう誓う時間が、

どんなご馳走よりも

 

深く、

静かで、

 

値打ちのあるひとときだと

私は思うのです。

 

 

 

僭越ではありますが、

道場生の皆さん、

そしてこれを読む皆さん。

 

 

 

次の誕生日は、

ケーキのロウソクの火を吹き消す前に、

 

自身の「命の始まり」

思いを巡らせてみませんか。

 

 

 

 

そこには、

母の痛みと、父の祈りがあったはずです。

 

 

 

 

その事実に氣づき、

深く感謝できたとき、

 

誕生日は初めて

「祝うに値する日」となり、

 

真の意味での

「誕生日」となるのではないでしょうか。

 

 

 

 

今週もありがとうございました。

良い週末を。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝