今日の一言 2025-09-16 (火)
道場長の一日一心 " 稽古の道すがら、江戸の坂道に学ぶ。二合半坂編 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
今週も宜しくお願いいたします。
本日は、二十四節氣
白露【はくろ】次候
七十二候
第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)
「鶺鴒鳴」は9月12日~17日頃。
水辺に住むセキレイが鳴き始める頃。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 けいこ の みち すがら、えど の さかみち に まな ぶ。にごうはんざか へん 』
8月1日から17日まで、
東京での夏の集中稽古と
指導者育成練成稽古のため、
出張しておりました。
連日の暑さの中、
集まったお弟子さんたちと
汗を流す日々は、
私自身にとっても貴重な時間です。
多忙な稽古日程の合間を縫って、
かねてより心に決めていた
もう一つの目的も少しは
果たすことができました。
それは、
由緒ある江戸の坂道を巡ることです。
今回訪れたのは、
千代田区富士見町1丁目にある
「二合半坂」です。
JR飯田橋駅から目白通りへ
少し歩いた大神宮通りに交差する
暁星学園小学校の横から、
フィリピン大使館前へと続くこの坂道。
なぜ「二合半」というのか、
その名の由来は諸説あり、
どちらも実に興味深いものです。
【 説1:見方を変える大切さ 】
江戸時代の書物『再校江戸砂子』には、
この坂の上から
東に日光山が半分見えた、とあります。
なぜ日光山が
半分見えると二合半なのか?
それは、
富士山の高さを「一合」「二合」と
十分割で数える習慣に由来したそうです。
この坂から見えた日光山は、
西側に望む富士山に比べて
半分の高さ(五合)に見え、
さらにその日光山を坂上から見ると
半分しか見えなかったため、
「富士山の半分の、そのまた半分」
すなわち
「二合半」と名付けられた、というのです。
【 説2:謙虚さの重要性 】
別の説では、
この坂があまりにも急で、
お酒を一合飲んで登ると、
二合半も飲んだかのように酔ってしまう、と
伝えられています。
" 稽古も人生も、坂道と同じ "
合氣道の稽古も人生も、
この「二合半坂」のように、
一見しただけでは
分かりづらい側面や、
困難な道のりがあるものです。
「日光山が半分見える」
という視点は、
物事の本質を捉えるには、
表面的な部分だけでなく、
見方を変える工夫が
必要だと教えてくれているように思います。
合氣道の技の理合を
深く探求することで、
初めて見えてくる世界があるのです。
また、
「急な坂道で酔ってしまう」
という話は、
自分の力を過信せず、
常に謙虚な氣持ちで向き合うことの
重要性を物語っているようです。
稽古においても、
力任せに相手とぶつかるのではなく、
相手の氣の方向、
相手が向かおうとする方向を尊重し、
自分の使う方向へと
導くことが大切になりますね。
東京の街中に江戸時代から
ひっそりと佇むこれらの坂道は、
合氣道の道と通じる
多くの教えを毎回、私に与えてくれます。
肉体を鍛えることだけに執着せず、
物事を多角的に捉え、
柔軟に対応する
「素直な心」を養うこと。
何も考えずに通れば、
ただ通り過ぎるだけの坂道でも
学ぼうとする心さえあれば、
日常において
いくらでも、どこからでも、
学べるものです。
これこそが、
合氣道を日常に活かす「道」なのだと
改めて感じた一日でした。
私たちの
江戸時代から続く由緒ある坂道巡りは
まだまだ続きます。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝