今日の一言 2025-09-04 (木)
道場長の一日一心 " 【師範の学び】たった一言、それだけでその人の評価は下がる "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
処暑【しょしょ】末候
七十二候
第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)
「禾乃登」は9月2日~6日頃。
「処暑」は末候へと移りました。
田んぼの稲が実り、穂を垂らすころですね。
今日の " 道場長の一日一心 "
『 【しはん の まな び】たった ひとこと、それだけ で その ひと の ひょうか は さが る 』
私は約2ヶ月に一度、寄席に通っている。
その目的は
ただ笑いに行くためではありません。
開口一番から真打ちまで、
高座に上がるにつれて
噺家のクオリティが上がるのを感じる。
彼らの口調、
間の取り方、
表情、仕草、
立ち居振る舞い、
そして全身から発せられる「氣」。
そのすべてが私にとって、
合氣道の指導に
活かせる貴重な学びなのです。
師範という立場は、
単に技を教えるだけでは務まらない。
道場生の前に立ち、
威風堂々、
そして皆が理解できるように
話す必要がある。
その意味で、
私は噺家という
職業を心から尊敬しています。
しかし、
今年の初め、
私はある寄席で、
とても残念な氣持ちになりました。
それは、
次回の開催予定を
案内する噺家さんの言葉でした。
「え〜、次回なんですけども2月11日に開催予定です。
祝日ですね。
えっと、え〜、なんの日でしたかね?
えっと…なんの日か分かりませんが…」
最初は、
これも落語のネタか?
観客を笑わせるための演出なのか?
と思いました。
だが、
どうやらそうではないらしい。
その噺家は
本当にその日が
何の日か分からないようだった。
日本の伝統文化を伝え
継承する落語家が、
日本の「建国記念の日」を
忘れてどうするのか。
しかも、
その噺家は決して若手ではない、
それなりの
地位とキャリアを持つ方だと聞いている。
そのたった一言が、
私の心の中で
その人の評価を完全に下げてしまった。
もし、外国人に
「日本という国はどういう国ですか?」と
尋ねられれば、
あなたは即座に何と答えるでしょうか?
私なら、
日本は126代にわたり、
父系一系で
今上天皇陛下まで
続いている。
紀元前660年から
2685年にわたる
世界に類を見ない
悠久の歴史がある国です。
そう即座に答えます。
これを「皇位の継承」というのです。
日本はあまりにも歴史が古すぎて、
いつ始まったか分からない。
従って、「建国記念日」は分からない。
では、
せめて初代神武天皇が即位なさった日を
「建国記念の日」として制定した。
神武天皇が即位なさった
紀元前660年から
今年の西暦2025年を足せば
今年で2685年になる。
西暦2025年。
それが
日本のオリジナルカレンダーで表すと
皇紀2685年なのです。
おそらく、
その噺家はこの日本の根幹を
分かっていないのだと思います。
この日本の根幹である
「建国記念の日」を忘れてしまうような
日本の伝統文化を職業として
後世に伝え、継承する
一流の噺家ではない。
二流、三流でもなく
それ以下だと私は思っています。
この上なく、
緊張感に欠けた
準備不足という怠慢な
心が完全に露呈した姿だった。
この出来事から、
私は改めて師としての心得を学びました。
技を磨くだけでは一流になれない。
自分の立つ舞台、
そしてそれを支える人々の背景にある
文化や歴史に対する
敬意を忘れてはならないのです。
私たち合氣道家も、
日本の武道という伝統の上に立っています。
そのことを決して忘れず、
日々の稽古を通じて、
心、技、体、氣 を
高め続けることが、
真の師への道だと再認識した出来事でした。
この噺家の高座での姿を
油断すれば、
「明日は我が身である」と、
自分自身への戒めとして、
心に刻まなければなりませぬ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝