今日の一言 2025-09-02 (火)

道場長の一日一心 " 江戸の記憶をたどる「冬青木坂」編 "

今朝も目覚めることができた。

ありがとう。

 

本日は、二十四節氣

処暑【しょしょ】末候

 

七十二候

第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)

「禾乃登」は9月2日~6日頃。

 

「処暑」は末候へと移りました。

田んぼの稲が実り、穂を垂らすころですね。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の " 道場長の一日一心 " 

『 えど の きおく を たど る「もちのきざか」 へん 』

 

 

 

 

 

 

この夏、

8月1日から17日までの期間、

 

東京都において

夏季集中稽古および

指導者育成練成稽古を実施いたしました。

 

 

 

​稽古期間中、

かねてより計画しておりました

 

由緒ある江戸の坂道巡りを敢行し、

その一環として

 

千代田区に位置する

冬青木坂(もちのきざか)を歩きました。

 

 

 

​合氣道の稽古は

自分の中心、

 

いわゆる

 臍下の一点 を定めることの

重要性を毎回再確認します。

 

 

中心、

つまり「核」ですね。

 

 

それは、

技だけでなく、

私たちの生き方にも通じるものです。

 

 

 

 

" もちの木坂:心に刻む歴史の道 "

 

 

 

​東京 千代田区の九段にある「冬青木坂」

 

 

このエントリー でご紹介した

「中坂」の北に位置します。

 

 

 

九段北一丁目と

飯田橋一丁目の境、

 

目白通りから

暁星中学校・高等学校へと上り、

 

フィリピン大使館と

和洋九段女子中学校・高等学校に挟まれ、

 

大都会の中の静けさに包まれた

やや勾配のきつい坂道です。

 

 

 

この坂の名前の由来は、

江戸時代にこの場所に

 

大きな「もちの木」があったからと

言われています。

 

 

 

​しかし、

文献をたどると、

諸説あることがわかります。

 

 

 

​説1:本当に大きなもちの木があった。

​説2:もちの木に似た木があった。

​説3:特定の屋敷の裏にもちの木があった。

 

 

 

 

​明治時代には、

すでにその木は失われていたようです。

 

 

 

 

それでも、

多くの文献や川柳に登場することから、

 

この坂が江戸の人々に

親しまれていたことがわかります。

 

 

 

​姿かたちはなくなっても、

人々の心に残り続ける。

 

 

 

 

​その場所の歴史や物語は、

たとえ目に見えなくても、

 

確かにそこに存在し、

私たちに何かを語りかけている。

 

 

 

それは、まさに

合氣道の稽古と同じではないでしょうか。

 

 

 

 

​先人の残した技の「核」を学び、

自分自身の「核」を築く。

 

 

 

​現代では目に見えない

歴史や精神性を大切にすること。

 

 

 

それが、

今を生きる私たちに

求められていることかもしれません。

 

 

 

 

そんなことを考えながら、

夕方の「冬青木坂」を歩いたことを

思いだします。

 

 

私たちの江戸の坂道巡りは

まだまだ続きます。

 

 

過去の坂巡りのエントリーはコチラから

↓↓↓

 

雁木坂

中坂

檜坂

狸坂

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

兵庫県合氣道連盟

合氣道琴心館寺崎道場

道場長 拝