今日の一言 2025-06-03 (火)
道場長の一日一心 " 君は「臭い大根」になっていないか?私が思う合氣道修行の真髄 "
今朝も目覚めることができた。
ありがとう。
本日は、二十四節氣
小満【しょうまん】 末候
七十二候
第二十四候 麦秋至【むぎのときいたる】
二十四節氣「小満」は末候へと移りました。
「麦秋至」は5月31日~6月4日ころにあたります。
冬に種をまいた麦が大きく実り、畑一面が黄金色に輝く頃を指します。
初夏の爽やかな風が吹き渡り、豊かに実った麦が収穫を待つ、
そんな日本の美しい情景がこの「麦秋至」という言葉に込められているのですね。
今日のお題
道場長の一日一心
『きみ は「くさ い だいこん」に なって いない か?わたし が おも う あいきどう しゅぎょう の しんずい』
たった二、三年稽古を続けただけで、
たった五、六年稽古を重ねただけで、
身につけた技や知識を " ひけらかす " 。
そのような人を見かけることがあります。
しかし、
それは合氣道の真髄からは
大きくかけ離れたものです。
技の形をいくつか覚えたばかりの者、
部分的な知識を得たばかりの者は、
とかく、それを鼻にかける傾向があります。
まるで
「恐ろしき愛宕、鞍馬の天狗よりもなお恐ろしき里の小天狗」
少しばかり合氣道に触れただけで、
すぐにそれを誇示したがるのが
心浅き、傲慢な愚者の行動です。
" 学びの深さと謙虚さ "
昔の賢人は
「学問は臭いものである。ちょうど大根を煮るのと同じで、煮れば煮るほど臭くなるが、完全に煮尽くせば臭みがなくなる」
と説きました。
これは合氣道の稽古にも通じる真理です。
表面的な技や知識は、
時に「傲慢、思い上がり」という
「臭み」を伴うことがあります。
そこで慢心して、
立ち止まってしまえば、
「ただの臭い者」で終わってしまう。
しかし、
稽古を深め、技と心と身体が
天地大自然と一体になった時、
その「臭み」は消え去り、
真の境地へと
到達するものではないでしょうか。
" 真の境地に至る者とは "
勝ち負けだけにこだわり、
生半可な氣持ちで稽古を続ける者は、
とかく大層な態度をとったり、
世間から超越したかのように振る舞い、
周囲を不快にさせることがあります。
しかし、
真に合氣道の道を究めようとしている者、
あるいは、
すでにその道を歩んでいると
思われる者は、
いたずらに自分を誇示することはありません。
彼らは
普段と変わらないように
淡々と稽古に励み、
その言動もまた、
ごく自然で穏やかなのです。
しかし、
注意深く観察し、耳を傾ければ、
彼らの目つきや声には、
どこか常人とは異なる
深みがあるように感じます。
その立ち居振る舞いは
大地に根を張ったかのように揺るぎなく、
静かで洗練された動きを見せます。
彼らの言動には、無駄がなく、
あかぬけした「趣」が感じられます。
もちろん、
このような境地は
合氣道のみに
限定されるものではありません。
どのような道であれ、
深く追求し、
真摯に修行を重ねれば、
必ず同じ高みに到達できると
私は信じています。
合氣道の稽古を通して、
私たちは技を磨くだけでなく、
人間としての奥深さを追求し、
心身を錬磨していきたい。
そのような人たちと、
ともに向上していきたいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝