今日の一言 2025-04-30 (水)
道場長の一日一心 " 「投げる姿は百合の花」と絶賛された理由 "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣 穀雨 (こくう) ・末候
七十二候
牡丹華 ぼたんはなさく
第十八候
「穀雨」は末候へと移りました。
「牡丹華」は4月30日~5月4日頃に相当します。
この候は、まさに牡丹の花が咲き始める頃です。
今日のお題
『 " なげ る すがた は ゆり の はな " と ぜっさん され た わけ 』
ゴールデンウィークがはじまり、
私が主宰する合氣道琴心館寺崎道場の
本拠地である神戸の道場には、
東日本から集まったお弟子さんたちの
熱意に満ち溢れていました。
今年も春の集中稽古が開催されました。
参加者たちは
日頃の鍛錬の成果を試すべく、
和やかな中にも
真剣な氣が道場を包んでいました。
そんな中、
その卓越した技と、
花のような美しさで注目を集めたのが、
東京から参加した日本女子のAさん ( 仮名 ) です。
基本動作、受け身、
そして応用技へと稽古が進むにつれ、
Aさんの繰り出す一つ一つの技は、
流れるようにしなやかで、
そして何よりも
見る者を魅了する美しさをたたえていました。
「Aさんの技はまるで、生きた花のようだね」
特に、
Aさんが相手の身体を受け流し、
体捌きから投げる一連の動作は、
まるで
計算されたかのように無駄がなく、
その動きの美しさに、
周りの参加者からは感嘆の声が上がりました。
「Aさんの技はまるで、立てば芍薬、座れば牡丹、投げる姿は百合の花だよ。」
それは、
Aさんの立ち姿の凛とした美しさ、
座った際の落ち着いた優雅さ、
そして何よりも、
相手を投げるその一瞬の動きが、
まるで百合の花が口を大きく開け、
そこから無限の氣を
発しているかのようであり、
それが風に揺れるようにしなやかで
生きた花のように美しかったことを表現した、
まさに的を射た
他の参加者からの称賛の言葉でした。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉がある。
この有名な言葉は、
美しい女性の立ち居振る舞いを花に例えたもの。
* " 立てば芍薬(しゃくやく) " とは、
芍薬がすらりと伸びた茎に
大輪の花を咲かせるように、
立ち姿が美しく堂々としている様子。
* " 座れば牡丹(ぼたん ) " とは、
牡丹がどっしりと落ち着いた姿で
咲き誇るように、
座っている姿が優雅で風格がある様子。
* " 歩く姿は百合の花(ゆりのはな ) " とは、
百合の花が風に揺れるように、
歩く姿がしなやかで優美な様子のこと。
本来は「歩く姿は百合の花」なのだが、
「投げる姿は百合の花」と形容した。
Aの技や、立ち居振る舞いも然る事ながら、
うまくその動作をその言葉で形容した、
その日本女子の「比喩力」と「表現力」に感心した。
彼女たちのようなお弟子さん方と
ご縁をいただけたことに深く感謝し、
" 自分は幸せな指導者である " とつくづく思います。
合氣道の奥深さと、技の美しさ
合氣道は、
力ではなく相手の氣を尊重し、円の動きで
相手との調和を生み出す武道です。
Aさんの技は、
その合氣道の精神を体現しており、
" 氣という力強さ " の中に、
洗練された美しさが共存していました。
日頃の鍛錬によって磨かれた技術と、
内面から溢れ出る品格が、
彼女の技をより一層、
魅力的なものにしていたのでしょう。
合氣道歴たったの三年そこらで
これだけのことができるのは、
道場の稽古だけでは到底不可能です。
この日本女子が日常生活において、
どれだけ「心のあり方」、「姿勢」、
「立ち居振る舞い」や
「氣の出し方」、「氣の使い方」等を
鍛錬しているのか。
まさにそれを証明するものでした。
集中稽古に参加した他のお弟子さんたちは、
Aさんの繰り出す美しい技に見惚れ、
自身の稽古に対する
意識を新たにしたことでしょう。
技の正確性はもちろんのこと、
その所作の美しさも
追求することの重要性を、
Aという日本女子は
その身をもって示してくれました。
ゴールデンウィークの神戸で、
一輪の美しい花のように、
その技で周囲を魅了した日本女子。
彼女の姿と、
それを心から応援する道友たちの姿は、
合氣道の奥深さと、
技の持つ美しさを
改めて私に教えてくれる、
一生忘れられない光景となりました。
私などには
本当にもったいない、ありがたい、
素晴らしい日本女子たちなのでありまする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
兵庫県合氣道連盟
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝