今日の一言 2025-03-12 (水)
道場長の一日一心 " 貧すれば鈍する "
今朝も目覚めることができた、
ありがとう。
本日は、
二十四節氣
啓蟄 ( けいちつ ) 次候
七十二候
桃始笑 ももはじめてわらう
第八候
「啓蟄」は初候から次候へと移り、
「桃始笑」は3月10日~14日くらいにあたり、桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころです。
昔は花が咲くことを「笑う」とか「笑む」といっていたそうです。
「桃始笑」という言葉を見るだけで、優しい笑顔になりますね。
花も人も笑うと、その周囲までもが明るくプラスの氣で満たされますね。
今日のお題
『ひん すれ ば どん する』
人間の味覚は、
その時々の体調や氣分によって
微妙に変化するものですね。
「以前、あんなに美味しいと感じた食べ物が、今日はなぜかそれほどでもない…」
このような経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
少し前になりますが、
ある定食屋さんでカツ丼をいただきました。
「あれっ、こんな味だったかな?」
以前にも、同じお店で同じカツ丼を
いただいたのですが、
前ほど美味しいとは感じなかった。
そんなことを考えながら、
食べているうちに
「あっ!そういうことか」
あることに氣づいたのです。
そのカツ丼を以前に
いただいたときは、
とても空腹で、とにかく美味しかった。
でも今日はそれほど空腹ではなかった。
" 人は空腹の時には、本当の味が分からない "
ということに氣がつきました。
私たち人間は
あらゆる動植物の命をいただき
生かされていますので、
自分のために犠牲となった命に
「美味しくない」なとど、
とてもではないが言えません。
そのうえで、
空腹にまずいものなし
喉が渇けば水でさえ
「甘露の慈雨」というように、
極度に空腹であれば
どんな食事も美味しく感じ、
喉が渇いていれば、
ただの水さえも
極上の飲み物のように感じられます。
つまり、
極限状態では
味の良し悪しを正確に判断することが
難しいということです。
本当に味を判断するには、
適度な満腹感と潤いが必要であると思うのです。
これは、
「貧すれば鈍する」という言葉にも
通じるかもしれません。
つまり、
貧乏すると、
生活の苦しさのために
精神の働きまで愚鈍になるということです。
極度の空腹や渇きは、
味覚という人間の重要な感覚を
狂わせる可能性があるように、
経済的な困窮は
人の判断力を鈍らせ、
正確な行動ができないということ。
味覚や貧富は、
単に食べ物や飲み物の味を
感じるだけでなく、
私たちの心や体の状態を
映し出す鏡のようなものなのかもしれない。
何事も適度な余裕がなければ、
そのものを正しく評価することができない。
人生において、
困窮を極めるほどの貧困は
乏しい判断力などが災いして、
うまくいくことも、うまくいかず、
時に人の道に外れることも
大いにしてあるように思うのです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
合氣道琴心館寺崎道場
道場長 拝