今日の一言 2024-09-13 (金) ~ 2024-09-15 (日)

人として一流をめざすための道場長の今日の一言  " 三人虎を成す "

今朝も目覚めることができた。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

『さんにん とら を なす』

 

 

 

 

 

三人言いて虎を成す。

 

(さんにん いいて とら を なす)ともいう。

 

 

 

 

 

事実でなくても、

 

全くのデマであっても、

 

 

 

多くの人が

 

そうだと言ったり、

 

 

 

SNSを駆使し、

 

粘り強く繰り返し

 

投稿し続ければ、

 

 

 

それが

 

フォロワーの関心を

 

惹くこともある。

 

 

 

さらに何人もの

 

著名人、有識者が

 

 

 

同じことを

 

声をそろえて語れば、

 

 

 

人はやがて

 

事実だと思われる

 

ようになっていく。

 

 

 

「三人虎を成す」とは

 

そういうたとえだ。 

 

 

 

 

 

現代人は

 

テレビ、スマホで、

 

昼夜流れる

 

映像、投稿、報道の中で

 

無意識にその影響下にある。

 

 

 

 

 

ある人が王にたずねた。

 

 

 

①「町に虎が出たと一人が言ったら信じますか」とたずねて、

 

王が「信じない」と答えた。

 

 

 

②「二人の人が言ったら信じますか」という問いには、

 

「もしかしたらと疑うかもしれない」と答えた。

 

 

 

③「三人ではどうか」という問いには、

 

「信ずるようになるだろう」と答えたという。

 

 

 

 

 

町に虎など

 

いるはずもない、

 

 

 

しかし、

 

多くの人が

 

虎がいると言えば

 

信じる人もいるという。

 

 

 

「三人虎を成す」とは

 

そういう話だ。

 

 

 

 

 

 

 

大東亜戦争、第二次世界大戦、

 

昔から戦争は

 

情報戦でもあったのだ。

 

ロシアによるウクライナ侵攻なども

 

同様に情報戦だ。

 

 

 

 

 

1923年9月に起きた

 

関東大震災の

 

もう一つの悲劇である

 

福田村事件。

 

 

 

悪意のある

 

流言飛語により

 

9人が虐殺された。

 

 

 

広く拡散された

 

全くのデマを信じ、

 

彼らは村を守るという

 

正義で9人もの

 

何の罪も犯してない人々を

 

虐殺してしまった。

 

 

 

それは昔も今も何ら変らない。

 

 

 

それどころか、

 

情報が現実を

 

常に先走りする現代だ。

 

 

 

情報の大事さを熟知し、

 

すすんで

 

たくさんの情報を

 

得ようとする

 

知的な賢者ほど、

 

 

 

多数者の声には

 

敏感になるのだ。

 

 

 

そういう賢者が

 

正義感を持って

 

 

 

いつしか、四人目の

 

虎が出たと言う人に

 

なりかねないのだ。

 

 

 

 

 

「正義だ」と

 

人に伝える前に、

 

しなければならない

 

ことがあるだろ。

 

 

 

自分で現場を踏め。

 

 

 

 

 

現代人の誰もが

 

未曾有の感染症を経験した。

 

 

 

マスク、黙食、

 

ソーシャルディスタンス、

 

テレワーク、

 

ワクチン、

 

そしてレプリコンワクチン。

 

 

 

 

 

人のことなど

 

お構いなしに、

 

 

 

四方八方上下から

 

映される大スクリーンと

 

 

 

迫りくる大音響の

 

情報という

 

映像とサウンドに

 

 

 

心身をさらされていると、

 

 

 

相当に養われた

 

胆力をもってしても

 

 

 

生理的に衰弱していく

 

可能性がある。

 

 

 

 

 

真実なのか、

 

真実ではない

 

フェイクニュースなのか、

 

 

 

それは

 

あらゆる五感を刺激する、

 

 

 

フィクション、

 

ノンフィクションの世界が、

 

 

 

私たちの周囲に

 

拡散するのだ。

 

 

 

 

 

感受性豊かな

 

若者世代ほど、

 

 

 

そのような

 

情報の影響を

 

受けやすいかといえば、

 

 

 

そうでもないらしいのだ。

 

 

 

高年齢も同じように、

 

また、それ以上に

 

意図的な情報に

 

敏感であるという

 

傾向もあると聞く。

 

 

 

 

 

情報リテラシ―とは

 

 

 

たくさんの情報の中には、

 

うその情報や、

 

正確ではない情報も

 

まぎれているからこそ、

 

 

 

正しい情報や

 

必要な情報を

 

選びとることが大切で、

 

 

 

情報を取捨選択する

 

能力のことをいう。

 

 

 

 

 

要するに

 

フェイクニュースに

 

だまされるな、

 

 

 

ということだが、

 

 

 

テレビやネットで流れる

 

日々のニュースに

 

無関心であれば、

 

惑わされずに済むのか、

 

 

 

いや、

 

情報に耳を

 

遮断してしまっては、

 

 

 

高齢者なら

 

痴呆症、認知症を

 

引きおこす

 

きっかけとなる

 

恐れもあるだろう。

 

 

 

 

 

見る、聞く、

 

読む、考える、

 

 

 

その四つが

 

脳を活性化するから、

 

 

 

生きていく上で

 

必要であり、

 

自ら遮断して

 

しまってはいけない。

 

 

 

 

 

今も昔も

 

報道機関は変わらない。

 

 

 

既得権益に繋がる

 

報道はするが、

 

 

 

今までの利益構造を

 

壊されかねない事実は

 

捻じ曲げるか、

 

全く報道されない。

 

 

 

 

 

では、

 

ネットなら信用できるのか、

 

 

 

SNSは

 

誰でも思っていることを

 

自由に主張できる。

 

 

 

中には

 

真実もあるだろう。

 

 

 

しかし、

 

営利目的だけで

 

再生数稼ぎの動画も

 

数多くある。

 

 

 

全く信用などできない。

 

 

 

一体、何を信じる?

 

 

 

 

 

このような、

 

良くも悪くも

 

情報で覆い尽くされる

 

世の中で、

 

真実など

 

分かりようもない。

 

 

 

 

 

この生きにくい、

 

人々を分断させるような

 

世論において私は、

 

 

 

" 見ザル 言わザル 聞かザル "

 

 

 

圧倒的多数者の

 

大音量と

 

巨大スクリーンのような、

 

 

 

その映画に

 

興味がある人しか

 

集まらないように

 

聞こえる主張や情報には、

 

 

 

耳をふさぐように

 

しているのだ。

 

 

 

猿真似は必ずしも、

 

遮断ばかりではない。

 

 

 

「聴かない」

 

ということも、

 

 

 

また一つの

 

生きていく上で、

 

護身的な姿勢

 

かもしれないのだから。

 

 

 

 

 

私のような

 

猿真似をしている側から

 

見れば、

 

 

 

「これこそが真実であり正義なのだ」と

 

 

 

言わんばかりの言動は、

 

その正義感ですら

 

病みに近いようにも見える。

 

 

 

 

 

大声を発するなら、

 

拡散するなら、

 

発信するなら、

 

人に注意を促すなら、

 

 

 

まずは己で現場を踏め!

 

 

 

そうだろ!

 

 

 

自分自ら、

 

現場を踏み、

 

それに触り、舐め、

 

 

 

味を確かめて、

 

 

 

自分の身体に、

 

それを取り込んでから

 

発信しろ!

 

 

 

それがモラルだ。

 

 

 

 

 

私は、

 

この世で起こる

 

全てのことは

 

天地大自然がなさる

 

ことだと思っている。

 

 

 

それが

 

たとえ人為的であろうが、

 

なかろうが、

 

 

 

そんなこと

 

一切関係ございませぬ。

 

 

 

どうでもええねん。

 

 

 

どうでもよろしゅうございます。

 

 

 

 

 

天地大自然の営みに

 

逆らわず、

 

 

 

右往左往など

 

いたしませぬ。

 

 

 

そのような

 

無駄な時間は

 

一利もございません。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき

 

ありがとうございました。

 

 

 

道場長 拝