今日の一言 2024-05-02 (木) ~ 2024-05-03 (金)
人として一流をめざすための道場長の今日の一言 " 減るものと増えるもの。傷むものと強くなるもの "
今朝も目覚めることが出来た。
ありがとう。
『へるものとふえるもの。いたむものとつよくなるもの』
先日行われた
第26回兵庫県合氣道連盟
合氣道演武大会は
コロナ禍により
約4年の不開催を経て、
昨年より再び開催された。
コロナ禍以前は
毎年この時期、
桜が散れば
演武大会の開催だった。
先のことは分からないが、
また来年もこの時期に
開催されることだろう。
その先もその先も。
兵庫県合氣道連盟
指導部に所属する
師範の先生方は、
この演武大会に備えて
色々と準備に慌ただしくなる。
合氣道琴心館寺崎道場を
主宰する私も
その例外ではない。
演武大会に出場する
お弟子さん方は人それぞれ、
稽古回数も年数も
熟練度も全て違う。
週に3回、4回道場に通う
お弟子さんもいれば、
月に2回のお弟子さんもいる。
特に少年部所属の
子どもにおいては
遅くとも
前年の12月には
演武大会で行う
技の稽古を始めなければ
間に合わないのだ。
お弟子さんを持つ
指導者にとっては、
この頃から既に
準備が始まっている。
演武大会が
開催され続ける以上、
この道は
避けて通ることの
できない道なのです。
特に何か分からないが、
今年の演武大会は
正直疲れた。
例年以上に相当疲れた。
長い準備期間を経て、
演武大会当日にも
色々な出来事があった。
決して自慢して
言えることではないが、
私は元々、怠け者である。
放っておいたら、
とことん怠ける。
相当な疲れもあって、
どこからか
悪魔が囁いてくるのだ。
「明日から休めば楽になれるぞ」
「休め、休むのだ」
怠け者の私は
この悪魔の囁きに
同意したかった。
しかし、休めないのだ。
演武大会翌日は
神戸常盤アリーナ
「中高年のための合氣道講座」がある。
ここに集まってくれる
お弟子さんの多くが、
この演武大会にも
出場している。
そればかりか、
今年の演武大会出場には
間に合わなかった、
入門して間もない
新人のお弟子さん方も
演武大会会場に
足を運んでくれている。
嬉しいことだ。
熱心なお弟子さん方である。
その皆さん方が
翌日の神戸常盤アリーナで
稽古を待ってくれているのだ。
それに加えて、
東京、神奈川から
指導者とそのお弟子さん方
約10名も遠路遥々、
私の指導を楽しみに
貴重な大型連休を
使って集まってくれているのだ。
「皆に感謝だ」
氣を振り絞って
神戸常盤アリーナでの
稽古に臨んだ。
「正面打ち一教」という
合氣道の技の中でも
非常に難易度の高い
技ではあるが、
新人さんも含め皆、
額に汗をかきながら
一生懸命に稽古する姿に
私は心を打たれた。
皆が笑顔で稽古している。
その笑顔に
心底、心を打たれた。
「来てよかった」
そう思った。
無理やりにでも
絞り出した氣に、
お弟子さん方の
プラスの氣が加わり、
私を悪魔の囁きから
守ってくれた。
そして、
この日の午後からも
約4時間にわたって
関東からのお弟子さん方に
良き指導が出来た。
そう
「氣は出せば新しく入ってくるのだ」
強いプラスの氣を
出し尽くせば、
もっと強い
プラスの氣が入ってくるのだ。
出せば永遠に入ってくるのだ。
人間の考えや
人間が作ったものと
天地大自然の大御心と
天地大自然に与えられたもの。
そこに大きな差があるのだ。
その一つが
私達の手や足。
手を保護するために
人間が作った手袋。
例えばゴム手袋は
使えば使うほど消耗する。
いわゆる消耗品だ。
例えば靴。
同じように
使えば使うほど消耗し、
傷んだところは
リペアする必要がある。
これに反して、
人間の手というのは、
汚れても
洗えばきれいになる。
取り替えも必要なし。
赤ちゃんの足の皮は柔らかい。
でも80歳まで生きれば
80年使う。
100歳まで生きれば
100年間使うのだ。
柔らかい皮の足でも
使えば使うほど強くなる。
この天地大自然の
大御心と
天地大自然から
与えられたもの。
限りない
おめぐみに
私達は包まれ
守られているという
世の中であることを
感じざるを得ない。
使えば使うほど減るもの、
傷むのもである
物や金。
一方で
使えば使うほど強くなる、
そればかりか
増えもするもの。
それは
体力であったり声であったり、
学力や能力、
それに積んだ徳と氣である。
泡沫(うたかた)なもの、
頼りないもの、
儚いもの、
崩れやすいもの。
それらに頼っていては
危険でしかたがない。
永遠なるもの、
無限の天地大自然からの
めぐみに感謝して、
これを十分に活かし
守られる生き方を
したいものだ。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
道場長 拝