2024-01-30 08:23:00

" 中心を失えば身体は自由に使えない "

身体の軸

 

いわゆる正中線がある。

 

 

 

その中心が

 

定まるからこそ

 

身体はぐらつかなくなる。

 

 

 

 

 

その時はじめて

 

手足を自由に

 

使えるようになる。

 

 

 

 

 

例えば、

 

手に水の入った

 

ペットボトルを持っている。

 

 

 

身体が

 

ぐらついている間は

 

ペットボトルの

 

水は飲めない。

 

 

 

ぐらつきが止まって

 

立ち直ったら

 

自由に

 

水は飲めるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

人間なら誰でも分かる

 

当たり前のことだ。

 

 

 

 

 

中心を失えば倒れる。

 

中心を失いかけたら

 

ぐらつく。

 

 

 

身体の中心が

 

定まった後で

 

手足は自由に

 

使えることが許される。

 

 

 

 

 

これは古往今来、

 

洋の東西を問わず

 

曲げることのできない

 

厳然たる事実である。

 

 

 

 

 

にも関わらず、

 

 

 

 

 

中心を失っている人の

 

なんと多いことだろう。

 

 

 

 

 

そして、

 

正中線の中心を

 

最も集約した

 

無限小の中心が

 

臍下の一点です。

 

 

 

 

 

そこに心が

 

静まったとき、

 

手足は自由自在に

 

持てる力を

 

最大限に発揮

 

することが出来る。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-01-29 10:16:00

" 人は生かされている "

人は生きている間は、

 

寝ている間も呼吸をし、

 

朝になれば目が覚め、

 

手と足が動き、

 

耳も聞こえる。

 

 

 

いくら寝不足でも

 

身体は自然と動く。

 

 

 

 

 

これは

 

脳からの命令が神経に伝わり、

 

何十兆もの細胞が

 

ものの見事に協調して働き

 

全ての筋肉に届いて

 

人の身体は動いている。

 

 

 

 

 

誰に教わることなく、

 

私達は生まれたときから

 

この機能を有している。

 

 

 

 

 

人は今日、

 

生きていることは

 

当たり前ではなく、

 

 

 

 

 

今日も

 

生かされていることに

 

感恩戴徳(かんおんたいとく)を

 

抱かねばいけない。

 

 

 

 

 

道場長 拝

2024-01-26 08:24:00

" 誕生日だから粗食で良い "

誕生日は

一年で最も

粗食にするべし。

 

 

鬼籍に入った

母の人生において、

私を産んでくれた日であり、

最も苦しんだ日だ。

 

 

その苦しみと感謝を

生涯忘れないために、

誕生日こそ粗食で良い。

 

 

誕生日は

祝福されるだけの日ではなく、

 

 

両親をはじめ家族、

周囲の人びとへの

感謝の日でも

あることを

忘れてはならないのです。

 

 

 

道場長 拝

2024-01-25 08:43:00

" 執着を解き放て "

何かに囚われると

心は自由に使えなくなる。

 

 

執着が病む原因の

一つだと氣づいた。

 

 

執着をいつまでも続けると、

執着が執着を呼び、

さらに動けなくなる。

 

 

その時、

心と身体は

がんじがらめに縛られる。

力みだ。

 

 

それを無理やり

動かそうとするから、

さらに力む。

 

 

やがて

身体の何処かが故障する。

心は病む。

 

 

 

自分の心に

何かの執着が

生まれた瞬間に

それを解消せねばならぬ。

 

 

ではどうしたら良いか。

 

 

その方法の一つが

私が日々実践している

心の鍛え方だ。

 

 

それは、

つい数秒前の過去から

遠い今までの人生を

振り返ってみる。

 

 

乗ろうとした

エレベーターの扉が

閉まりかけた、

すると見ず知らずの人が

「どうぞ」と開けてくれた。

 

学生時代に友達が

かけてくれた優しい言葉など。

 

多くある。

 

 

どれほど自分は

これまで多くの人に

支えられてきたことだろう。

 

 

そこには感謝しかない。

「ありがたいな」

心が清められ、

目の前の世界が広がり、

しんと心が鎮まってくる。

 

 

その方向に

心が動いた瞬間から

執着は

何処かへ消え去っている。

 

 

これを心の鍛錬という。

日々繰り返し行うことだ。

 

 

 

 

道場長 拝

2024-01-24 08:28:00

" 十年一区切り必死の二年という "

物事が成功するには、

また

何かを習得するには

十年が必要だ。

 

しかし、

 

ただ十年あれば

いいのではない。

 

その間、

寝食を忘れた

必死の二年がなければ

物事は成就しない。

 

 

必死とは

一生懸命に力を尽くすこと

であり、

一生懸命とは

命がけで物事をするさま

である。

 

 

 

道場長 拝